八剱神社|郷士杉村小左衛門が当地を開拓する際に創建、旧奥戸新田村鎮守
八剱神社の概要
八剱神社は、葛飾区奥戸にある神社です。八剱神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられており、旧奥戸新田の鎮守社となっていたといいます。八剱神社棟札、板絵着色裸参り絵馬額が葛飾区文化財に指定されています。
社号 | 八剱神社 |
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祭神 | 日本武尊、伊邪那岐命、伊邪那美命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、熊野神社 |
例祭日 | 10月3日 |
住所 | 葛飾区奥戸8-6-22 |
備考 | 旧奥戸新田村鎮守 |
八剱神社の由緒
八剱神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられており、旧奥戸新田の鎮守社となっていたといいます。
天文5年(1536)三河国碧南郡西端村の郷士杉浦小左衛門が当地を開拓するにあたり、守護神として勧請したものと伝える。旧奥戸新田の鎮守である。天明4年(1784)の「奥戸新田村鑑」に載せる神社の書上げに次の記事がある。
惣村鎮守は八剣大明神にて、六尺四面、別当宝蔵院にて、御捨地2畝歩、此分は御水帳に反歩無之候へ共、享保11年御改之節、2畝歩と書上候。勧請年号は不相知候ヘ共、三河国より杉浦左衛門と申者勧請致候由、鎮守棟札に有之候。往古より社萱葺に候所、安政7年5月、本所こけら屋根に致し、上屋建立したし候。同年9月、石鳥居村方惣若者かかりにて建立いたし候。末社院来大神有之、神酒二月奉、社は6月15日祭礼、9月13日一年に三度宛、神酒捧申候。
社殿は、寛永6年(1629)9月、正保4年(1647)、安永7年(1778)5月、文久3年(1863)9月、明治41年10月に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年10月の造営である。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
八剱神社所蔵の文化財
- 八剱神社棟札(葛飾区指定文化財)
- 板絵着色裸参り絵馬額(葛飾区指定文化財)
八剱神社棟札
寛永6年(1629)奥戸新田の惣百姓、惣氏子が「矢剱大明神」を再興した時の棟札です。材質はヒノキで、以下のような墨書銘があります。
上部には阿弥陀種子、中央に「奉再興矢剱大明神一宮遷宮郷中繁栄祈所」、右に「下総国葛西庄奥戸新田宮職宝蔵院法印海運」、左に「寛永六年九月二十五日遷宮致之導師上小松正福寺訪印空バン」とあります。
葛飾郡は近世初期に「下総国」から「武蔵国」に変わりますが、これは寛永6年において、まだ葛飾郡が「下総国」に属していたことがわかる資料です。(葛飾区教育委員会)
板絵着色裸参り絵馬額
この絵馬額には、右端に水盤舎、左上部に斜め右向きの社殿、その間には明神鳥居と太いごぼうじめ(しめ飾りの一種)を渡した樹木2株、右寄り上部に末社1字が描かれています。
参道には40人余の男が裸姿で社殿に向かい、左下の池では5人の男が禊をし、そのうちの1人は袋入りの神宝の剣と思われるものを持っています。右上には現在は判読できませんが「奉献」と書かれていました。
祈願の内容は明確ではありませんが、禊の意をこめた裸参りのありさまを示しています(葛飾区教育委員会)
八剱神社の周辺図