青旧山宝蔵院|南葛八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
宝蔵院の概要
真言宗豊山派寺院の宝蔵院は、青旧山和光寺と号します。応永2年(1395)に創建、慶長17年(1612)海運法印が中興開基となったと伝えられます。境内に南葛八十八ヶ所霊場第7番、西新井組中川通四箇領八十八箇所24番があり、隣地にはもと別当を勤めた八剱神社があります。
山号 | 青旧山 |
---|---|
院号 | 宝蔵院 |
寺号 | 和光寺 |
住所 | 葛飾区奥戸8-5-3 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場7番札所 |
宝蔵院の縁起
宝蔵院は、応永2年(1395)に創建、慶長17年(1612)海運法印が中興開基となったと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による宝蔵院の縁起
寶蔵院
新義真言宗、上小松村正福寺末、青旧山和光寺と号す。本尊阿弥陀を安す。開山海運、寂年詳ならず。
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による宝蔵院の縁起
応永2年(1395)の創立。天文7年(1538)、国府台の合戦で兵火にかかり焼失したが、慶長17年(1612)海運法印が再建し、開基となった。元文4年(1739)の「正福寺惣門末起立録」に、記事がある。
奥戸新田村青旧山 和光寺 宝蔵院
本尊 阿弥陀如来
開基 慶長17年 法印海運
元文4年迄 凡128年
八剣大明神社地 御見捨
熊野三社宮社地 右同断
境内 1反8畝27歩 御除地
寺附田地 8反4畝3歩 御年貢地
御代官所 伊那半左衛門殿
境内に、式部薬師を安置する薬師堂があり、8月8日に薬師祭が行われ、北隣の八剣神社は、もと当寺で別当を勤め、昭和38年には東方に中川放水路が完成し、その記念に堤上に、「和光の鐘」を吊った鐘楼を建て、近年また境内には「賽の河原」として、石地蔵尊群が安置されている。薬師堂の側にクロガネモチの大木が2本ある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
宝蔵院所蔵の文化財
- 木造薬師如来立像(葛飾区指定文化財)
木造薬師如来立像
木造薬師如来立像は、宝蔵院薬師堂の本尊として安置されています。台座・両手ともすべて一本の木から彫刻された一本造りで、左手胸前で薬壷を持っています。像の高さは22.5センチ、光背は31.8センチです。
宝暦のころ、王政復古を唱え、その後の尊王思想に影響を与えた竹内式部の門下で徳大寺公城の家臣である本堂良喜は、宝暦事件(1758)の際京都をおわれ、当寺に身を寄せていました。その良喜の後を追い、公城の娘妙姫は師の式部から拝領の薬師仏を背負いやってきました。竹内式部が獄死した後、二人はこの地に堂を建て薬師仏を安置し師の冥福を祈ったと伝えられています。この像が式部薬師と呼ばれ信仰されているのは、この様な由来によるものです。小像ですが制作も古く、広く信奉された像として後世に伝えたいものです(葛飾区教育委員会掲示より)
宝蔵院の周辺図