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林柔寺|葛飾区東四つ木にある真宗高田派寺院

林柔寺の概要

真宗高田派の林柔寺は、楊柳山と号します。寛永7年(1630)僧善長が唯念寺の塔頭林昌軒として日本橋馬喰町に創建、明暦の大火の後下谷稲荷町へ移転、大正12年の関東大震災後、当地へ移転したといいます。当寺には7代将軍徳川家継の生母月光院の位牌が安置されています。

楊柳山林柔寺
林柔寺の概要
山号 楊柳山
院号 -
寺号 林柔寺
住所 葛飾区東四つ木1-23-12
本尊 阿弥陀如来立像
宗派 浄土真宗高田派
葬儀・墓地 葬儀利用不可
備考 墓地募集中



林柔寺の縁起

林柔寺は、寛永7年(1630)僧善長が唯念寺の塔頭林昌軒として日本橋馬喰町に創建、明暦の大火の後下谷稲荷町へ移転、現寺号に改めたといいます。大正12年の関東大震災後、当地へ移転しました。

葛飾区寺院調査報告による林柔寺の縁起

寛永7年(1630)僧善長が日本橋馬喰町に創立した。はじめ唯念寺の塔中で林昌軒と称し、明暦3年(1657)の大火に消失して、本寺とともに下谷稲荷町に移り、その後寺名を林柔寺と改めたが、大正12年の大震火災にかかり、昭和3年1月、現在地に移転した。本堂に<従一位月光院殿理誉清玉智天>と記した位牌が安置されている。「野史」によれば、月光院は加賀の人、佐藤二郎左衛門の娘輝子である。父二郎左衛門は漂泊して僧となり、浅草林昌軒に住して輝子を儲けた。輝子は六代将軍家宣の側室となって阿喜与と称し、後の七代将軍家継を生んだ。父は輝子の勧によって還俗し、勝田玄哲と名のり、三千石の録を受けた。正徳2年(1712)将軍家継が僅か8歳で卒すると、輝子は出家して月光院と号し、宝暦2年(1572)没し、芝増上寺へ葬られた。その聴明、事に至り、また和歌をよくしたことは「有章院殿御実紀附録」に伝えられている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)

御府内寺社備考による林柔寺の縁起

唯念寺)塔頭三ケ寺
林柔寺
開山巧心院善長法師。寛文九酉年五月十日寂。
本尊阿弥陀如来 祖師親鸞上人画像
歓喜心院宵画像 聖徳皇太子画像
三朝七高僧画像
第二世元智第三世元憧代
月光院様御由緒有之。伝来仕候品々左之通。
一、有事院様御産衣御打鋪
一、御同君様御紋附土器御盃
一、御同君様御手触御手遊物
一、月光院様切御細工物
一、天英院様被下御紋御切
一、月光院様被下五条袈裟切
一、御同君様被下七条袈裟、四ツ
一、御同君様御遺物砂鉢、二
一、御同君様御懐中物
一、御同君様御服打鋪
一、御同君様雛人形
右之品々先々才伝来仕候。(御府内寺社備考より)


林柔寺の周辺図


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