香取山恵明寺|亀有小学校の校舎に供用、南葛八十八ヶ所、荒川辺八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
恵明寺の概要
真言宗智山派寺院の恵明寺は、香取山明王院と号します。建治2年(1276)或いは弘安元年(1278)の創建と伝えられます。延宝年間(1630-80)に法印快真が中興、元文元年(1736)以降は徳川将軍家鷹狩りの際の御膳所となっていました。明治時代には、亀有小学校の校舎として使用されていたこともあるといいます。南葛八十八ヶ所霊場47番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場56番札所、西新井組中川通四箇領八十八箇所11番です。
山号 | 香取山 |
---|---|
院号 | 明王院 |
寺号 | 恵明寺 |
住所 | 葛飾区亀有3-32-25 |
本尊 | 不動明王立像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場47番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場56番札所 |
恵明寺の縁起
恵明寺は、建治2年(1276)或いは弘安元年(1278)の創建と伝えられます。延宝年間(1630-80)に法印快真が中興、元文元年(1736)以降は徳川将軍家鷹狩りの際の御膳所となっていました。明治時代には、亀有小学校の校舎として使用されていたこともあるといいます。
葛飾区寺院調査報告による恵明寺の縁起
当寺過去帳の奥書および亀有村旧名主矢沢家文書には、弘安元年(1278)の開山、「新編武蔵風土記稿」には建治2年(1276)の起立とある。室町時代の戦乱で一時荒廃したが、延宝年間(1630-80)法印快真が再興した。元文元年(1736)10月将軍吉宗の鶴お成以来、将軍の御膳所となり、幕末に及んでいる。近年まで御成門というカヤ葺の門が残っていたという。明治17年、第11大区1小区の東巡査屯所がおかれ、また亀有小学校の校舎として使用されたこともある。現在の本堂は昭和48年の改築である。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による恵明寺の縁起
恵明寺
新義真言宗寺嶋村蓮花寺の末、香取山明王院と号す。本尊不動の立像長2尺許興教大師の作。草創は建治2年とのみ傳へて開山の僧は詳ならず。中興快真元禄5年3月4日寂。当寺元文元年10月19日此邊放鷹の時初て御膳所を命ぜられしより今も然り。(新編武蔵風土記稿より)
恵明寺所蔵の文化財
- 木造不動明王立像 1躯(葛飾区指定文化財)
- 欄間彫刻(葛飾区登録文化財)
恵明寺の周辺図