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宝生院|葛飾区柴又にある真言宗智山派寺院

宝生院の概要

真言宗智山派寺院の宝生院は、大黒山と号します。寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといいます。関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転しました。柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられます。境内脇は遍照院の新柴又中央霊園、正面左脇は題経寺の墓地です。南葛八十八ヶ所霊場の50番札所です。

宝生院
宝生院の概要
山号 大黒山
院号 宝生院
寺号 -
住所 葛飾区柴又5-9-18
本尊 大黒天立像
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 柴又七福神の大黒天、南葛八十八ヶ所霊場の50番札所



宝生院の縁起

宝生院は、寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといいます。関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転しました。柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられます。

葛飾区寺院調査報告による宝生院の縁起

当初は江戸京橋方面にあり、のち下谷の谷中に転じ、さらに承応・明暦の頃(1652-58)池之端芽町(台東区)に移ったと伝えられる。寛永の武州豊島郡江戸庄図の八丁堀の<ほうせふ院>が、あるいはその旧地か。当寺に安置する出世大黒天は、将軍家をはじめ上下の信仰が厚かったという。大正12年の関東大震火災に焼失し、昭和2年12月、現在地に移り、柴又の七福神の一として、甲子の縁日には参詣者でにぎわう。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)

御府内寺社備考による宝生院の縁起

大塚護持院(現護国寺)末 下谷芽町2丁目
神瑞山宝生院 境内古跡地129坪6合2勺内門前町屋。
当院起立は、寛永元年ニ而常州永園村大聖寺末宝性院与申候処、宝永3年右寺末葉相離、護持院(現護国寺)門徒ニ相成、宝永6年末寺ニ相願、同7年4月11日願之通、僧録大僧正慶善法印被仰付候。其跡宝生之ニ字相改申候。(御府内寺社備考より)


宝生院所蔵の文化財

  • 金銅幡残欠 1坪 (葛飾区登録文化財)

宝生院の周辺図


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