円光山源照寺|昭和3年浅草新鳥越から当地に移転
源照寺の概要
浄土宗寺院の源照寺は、円光山薫香院と号します。寛永3年(1626)照蓮社寂誉上人薫香宗円和尚が浅草蔵前鳥越付近に創建、明暦の大火に類焼後、山谷新鳥越(台東区山谷2丁目)に移転したといいます。関東大震災に焼失し、昭和3年当地に移転しました。墓地に山田流琴曲の祖山田検校や義太夫節の竹本綾太郎の墓等があります。
山号 | 円光山 |
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院号 | 薫香院 |
寺号 | 源照寺 |
住所 | 葛飾区高砂7-13-34 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
源照寺の縁起
源照寺は、寛永3年(1626)照蓮社寂誉上人薫香宗円和尚が浅草蔵前鳥越付近に創建、明暦の大火に類焼後、山谷新鳥越(台東区山谷2丁目)に移転したといいます。関東大震災に焼失し、昭和3年当地に移転しました。
葛飾区寺院調査報告による源照寺の縁起
寛永3年(1626)宗円が浅草蔵前鳥越付近に創立したが、明暦3年(1657)、江戸の大火に類焼し、山谷の新鳥越(台東区山谷2丁目)に移った。元禄の「蓮門精舎旧詞」には、山号院号を「円光山薫香院」、本寺を寿松院(台東区鳥越)とし、「開山照蓮社寂誉上人薫香宗円和尚、生国山城国八幡園町、姓氏等不知。寛永3年起立、正保3年、移今地云々」とある。明治20年、芝増上寺の末寺となり、大正12年、関東大震災に焼失し、昭和3年、現在地に移り、同8年、本堂成り、ついで同27年に改修が行われた。
墓地に山田流琴曲の祖山田検校や義太夫節の竹本綾太郎の墓等がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
御府内寺社備考による源照寺の縁起
京都知恩院末 浅草新鳥越
円光山常行院源照寺、境内465坪半内古跡年貢地240坪、持添年貢地225坪
寛永三寅年起立。尤持添地之儀は寛延元辰年二御座候。
開山照蓮社寂誉上人薫香宗円和尚、元禄五申年11月15日卒。
本堂。本尊阿弥陀立像、慈覚大師作。
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
源照寺所蔵の文化財
- 山田検校の墓(東京都旧跡)
山田検校の墓
山田検校は名を斗養一といい、三田了任の子、幼いときに失明し、山田松黒について琴曲を習い、出監の誉があった。その後、母の実家山田氏をつぎ、ついで検校の位を得、名声とみにあがり、新曲数従を製し、文化・文政のころには山田流の琴曲が江戸市中に広まり、その流れをくむもの数千人にのぼったという。
墓石には、右側面に「覚涼院殿一誉響和斗養居士 文化14年4月10日卒 前総録山田検校之墓」とあり、正面等に次のような太田錦城撰文の碑が刻まれている。(以下省略)~ (葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
源照寺の周辺図