竜灯山安福寺|夕顔観音、武蔵国三十三ヶ所
安福寺の概要
真言宗豊山派寺院の安福寺は、竜灯山権現院と号します。安福寺の創建年代は不詳ですが、草庵だった当寺を僧龍演(元禄元年1688年寂)が創建したといいます。当寺には夕顔観音として知られる懸仏が祀られています。武蔵国三十三ヶ所霊場16番です。
山号 | 竜灯山 |
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院号 | 権現院 |
寺号 | 安福寺 |
住所 | 葛飾区西水元1-7-19 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 武蔵国三十三ヶ所霊場16番 |
安福寺の縁起
安福寺の創建年代は不詳ですが、草庵だった当寺を僧龍演(元禄元年1688年寂)が創建したといいます。
葛飾区寺院調査報告による安福寺の縁起
創立の年代は明らかでないが、元和8年(1622)7月の「飯塚村検地水帳」に「上田 4畝12歩 安福寺」と記し、また寛永5年(1628)4月寂の法印祐尊の宝篋印塔があるから、当寺が江戸時代の初期にすでに存在したことが知られる。したがって「新編武蔵風土記稿」に「開山竜演、元禄元年(1688)12月12日寂ス。此僧ヨリ前ハ草庵ナリト云」という竜演は中興開山であろう。現在の本堂は大正7年、庫裡・客殿は昭和50年の改築である。なお寛文8年(1668)飯塚村の名主関口氏はその所有地から懸仏その他を掘出し、堂を建てて安置し、元禄13年(1700)安福寺の赦盛法印を招いて開帳会を修した。これが<夕顔観音>として信仰され、一時は盛況を呈したが、明治18年、堂は他に譲られ、懸仏は同26年、安福寺に移されて今日に至っている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による安福寺の縁起
安福寺
新義真言宗、金町村金蓮院末、龍燈山権現院と号す。開山龍演元禄元年12月12日寂す。此僧より前は草庵なりと云。本尊弥陀を安ず。
観音堂
夕顔観音と号す。三間四方高欄附の堂にて巧を盡せり。元禄15年小池坊住僧正春英岳が記せる縁起あり。其略に昔時此地大樹櫛比して、中に熊野三社及び水神を祀れり。寛文中に地主冶左衛門及村民喜兵衛二人霊夢を蒙り、かの樹根を穿て観音の銅像及佛具等を得たり。是道場の跡ならんとて草堂を営み彼像を安置せりと云。夕顔観音と号することは其故を詳にせず。按に下総国に旧き同名の観音あれば、其名を襲しにや。されど纂作せる像にもあらざるに、名ばかりを擬し称することは謂なきに似たり。土中出現観音の銅像左の如し(中略)。円径5寸3分にして鏡の如し、この銘文に拠ば、観音とはいへど其実は加原御前某の墓銘などにや。とにかく古きものとは見えたり。同時に得し佛具等も今堂中に置たれど、年暦て皆全形のものにあらざればここに図せず。土人曰元禄の頃参詣の老若多し。今も新宿町渡頭に道程指導の石標あるは当時のものなりといへり。此堂今も冶左衛門の子孫隼太郎の持也。
三社権現社。水神社。共に石祠なり。観音出現の所にして、古き勧請といへり。(新編武蔵風土記稿より)
安福寺所蔵の文化財
- 銅造懸仏 1面(葛飾区指定文化財)
- 安福寺青面金剛石像(葛飾区指定文化財)
安福寺の周辺図