白山神社|源義家の奥州征伐時に創建、梶原堀ノ内村鎮守
白山神社の概要
白山神社は、北区堀船にある神社です。白山神社の創建年代等は不詳ながら、近隣の神社の伝承(尾久八幡神社)と同じく源義家の奥州征伐時に創建したといいます。江戸期には梶原堀の内村と呼ばれていた当地の鎮守社であったといいます。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 伊邪奈美命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 北区堀船3-11-3 |
備考 | 梶原堀ノ内村鎮守 |
白山神社の由緒
白山神社の創建年代等は不詳ながら、近隣の神社の伝承(尾久八幡神社)と同じく源義家の奥州征伐時に創建したといいます。江戸期には梶原堀の内村と呼ばれていた当地の鎮守社であったといいます。
北区神社めぐりによる白山神社の由緒
創立沿革などは、神仏分離の際、古文書ことごとく紛失の為不明。言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京師にのぼれりといわれている。当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。(北区神社めぐりより)
新編武蔵風土記稿による白山神社の由緒
(梶原堀之内村)白山社
本地十一面観音は菅丞相の作と云、藤堂和泉守宿願成就の後再建せしといへと、其年代等詳なることを知らず、下三社持同じ。
末社。湯殿権現、稲荷、雷電、愛宕。(新編武蔵風土記稿より)
「東京都神社名鑑」による白山神社の由緒
当社は維新前まで寺院が別当であったため、神仏分離のさい、古文書等ことごとく紛失したので、創立・沿革等は文献で証左することは不可能であるが、いい伝えによると、鎌倉時代以前のものであることが明らかなようである。源義家奥州に出陣のさい、当白山社に詣で戦勝を祈り奥州を平定し、当地を経て鎌倉より京師にのぼれりといわれている。現在堀船地内の鎌倉街道は、当時よりいい伝えられたものである。当社は当時梶原堀船の鎮守として白山大権現と称えたるものであり、慶長年間(一五九六-一六一五)徳川家康江戸城に入るや、上野に東叡山寛永寺を創立し、梶原堀の内(堀船)をその領地としてより、白山神社の氏子は漸次増加し、徳川の家臣にも崇敬したもの多数ありという。(「東京都神社名鑑」より)
「北区史」による白山神社の由緒
白山神社(堀船二丁目)
白山神社は堀船二丁目(堀ノ内)に鎮座し祭神は伊弉諾尊である。祭日は九月十九日。当社は昔福性寺が別当寺で、もとは王子権現の境内にあつた。いつ頃堀ノ内に移したかは明らかでないが、白山権現と称して居り、明治になつて白山神社と改めた。境内五百五十坪。(「北区史」より)
白山神社の周辺図