西福寺|北区豊島にある真言宗豊山派寺院

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三縁山西福寺|江戸六阿弥陀、豊島八十八ヶ所、荒川辺八十八ヶ所

西福寺の概要

真言宗豊山派寺院の西福寺は、三縁山無量壽院と号します。西福寺は、豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したといいます。その後、僧宥海(延享3年1746年寂)が中興したといいます。江戸六阿弥陀巡礼の1番目、豊島八十八ヶ所霊場67番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場20番、33番札所です。

西福寺
西福寺の概要
山号 三縁山
院号 無量壽院
寺号 西福寺
住所 北区豊島2-14-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



西福寺の縁起

西福寺は、豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したといいます。その後、僧宥海(延享3年1746年寂)が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による西福寺の縁起

(豊島村)西福寺
新義真言宗、足立郡沼田村恵明寺末、三縁山無量壽院と稱す、本尊阿弥陀を置、是世に所謂六阿弥陀の一なり、縁起を閲するに、聖武帝御宇當國の住人豊嶋左衛門清光、紀伊國熊野権現を信し、其霊夢に因て一社を王子村に建立し、王子権現と崇め祀れり、然るに清光子なきを憂ひ彼社に祈願せしに、一人の女子を産す、成長の後足立少輔某に嫁せしか、舊具の備はらさるを以少輔に辱しめられしかは、彼女私に逃れ荒川に身を投て死す、父清光悲に堪す是より佛教に心を委ねしか、或夜霊夢に因て異木を得だり、折しも行基當國に来りし故、清光其事を告しに行基即ちかの異木を以て六體の阿弥陀を彫刻し、近郷六ヶ所に安置して彼女の追福とせり、故に是を女人成佛の本尊と稱す、當寺の本尊は其第一なり、次は足立郡小臺村、第三は當郡西ヶ原、第四は田畑村、第五は江戸下谷、第六は葛飾郡亀戸村なりと云、此説もとより妄誕にして信用すへきにあらされと、當寺のみにあらす残る五ヶ所とともに、少の異同はあれと皆縁起なとありて世人の口碑に傳る所なれは、其略を記しおきぬ、且清光は権頭と稱し、治承の頃の人なれは行基とは時代遥に後れたり、中興の僧宥海延享三年六月八日寂す、境内に延慶三年の古碑あり。
鐘楼。寳暦七年鋳造の鐘をかく。
地蔵堂。寛永年中江戸駒込に住する向西と云者、相模國鎌倉延命寺の裸地蔵に志願ありて参祷せしに、既に願望成就し且霊夢を蒙りて帰国の後、彼像を模刻して爰に安置すと云。(新編武蔵風土記稿より)


西福寺の周辺図