妙定院|徳川家重菩提のために創建
妙定院の概要
浄土宗寺院の妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したといいます。
山号 | - |
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院号 | 妙定院 |
寺号 | - |
住所 | 港区芝公園4-9-8 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙定院の縁起
妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したといいます。
「芝區誌」による妙定院の縁起
妙定院 芝公園第十七號地五番
増上寺四十六世妙譽定月大僧正が、寶暦十一年六月惇信殿の導師を勤めた冥加の爲め、同十三年十一月浄業別院を建て、将軍家歴代の靈碑を安置し、六時勤行の道場となした。幕府大奥等の寄附があつた。後、孝恭院殿の靈碑を安置した。當院の阿彌陀如来は安阿彌の作である。(「芝區誌」より)
境内掲示による妙定院の縁起
妙定院は、徳川九代将軍家重公の大導師を勤めた、増上寺四十六世妙誉定月大僧正によって、家重公菩提のため「御中陰の尊碑」を安置して、宝暦十三年(一七六三)、幽水閑雅だったこの地に開創された。増上寺の別院として位置づけられ、明蔵(一切経)を有し仏典研究の中心的存在でもあり、のち浄土宗の准檀林の寺格を持つ、念仏道場・学問研究の名刹として知られてきた。
法然上人御直作で熊谷直実の念持仏と伝える法然上人像をまつり、「円光大師(法然上人)東都二十五霊場」の第一番とされた。
また十代将軍家治公の尊碑も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。「法然上人伝絵詞」など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」「上土蔵」の二建造物は、国の登録有形文化財となっている。
元伯爵・萬里小路家、明治の殖産興業の先覚者・前田正名翁などの墓所がある。(境内掲示より)
妙定院所蔵の文化財
- 熊野堂・上土蔵(国登録有形文化財)
- 銅造阿弥陀如来及両脇侍立像(港区指定有形文化財)
- 琴棋書画図屏風狩野探雪筆(港区指定有形文化財)
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
中尊は細面の長身に作られ、著しい伏目の面相は親しみやすく、江戸時代江戸時代前期の作風を表しているのに比べ、両脇侍は肩を張った体躯と丸みのある頭部が形姿を整えており、制作年代は両脇侍がやや先行するものと思われます。このように本三尊像は一具同作とは認めがたいものですが善光寺式三尊像の遺制をよく伝えた作例として、また三尊が均衡を得た構成を示している作例としても貴重です。(港区教育委員会掲示より)
妙定院の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」