日通山妙善寺|三浦長門守爲春が開基
妙善寺の概要
日蓮宗寺院の妙善寺は、日通山と号します。妙善寺は、紀伊頼宣柳生母養珠院の兄三浦長門守爲春(承応元年1652卒)が開基となり、後に小湊誕生寺20世となった興善院日爲上人(慶安元年1648年寂)を開山として寛永4年(1627)創建したといいます。
山号 | 日通山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 妙善寺 |
住所 | 港区西麻布3-2-13 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙善寺の縁起
妙善寺は、紀伊頼宣柳生母養珠院の兄三浦長門守爲春(承応元年1652卒)が開基となり、後に小湊誕生寺20世となった興善院日爲上人(慶安元年1648年寂)を開山として寛永4年(1627)創建したといいます。日爲上人は麻布桜田町に妙祝寺(杉並区に移転)も創建しています。
麻布區史による妙善寺の縁起
日通山妙善寺 櫻田町八六
安房誕生寺末。寛永四年建立、開山興善院日爲聖人(慶安元年七月十二日寂)開基は三浦長門守爲春(承應元年七月卒)とて紀伊頼宣柳生母養珠院の兄に當る人である。「開基曼荼羅」と稱する十界曼荼羅に「右平氏優婆塞前三浦長門守爲春循庵定環法號妙善院日曜(下略)」云々とあり、正保三年八月の紀年と開山日爲花押が記されてゐる。
境内に阿部飛騨守家臣中村某の寄附に係る老梅があり「星降之梅」と呼ばれ有名であつたが、今は枯れてしまつた。墓地に左の名墓がある。
初世司馬全交 通稱山本藤十郎、芝とも云ふ。寛政五年六月十八日歿。大蔵流の狂言師として名あり。
井上因碩 圍碁大家、桑原道節と稱す。享保四年卒(本因坊道策門人。道策の養子道智幼少なるにより一時碁所となる)法號日要。
丹羽成功 白川侯の儒者、通稱久馬右衛門、供斎と號す。天保七年歿。(麻布區史より)
妙善寺の周辺図
参考資料
- 「麻布區史」