竹下稲荷神社|竹下新田として開発された天明四年(1784)に創建
竹下稲荷神社の概要
竹下稲荷神社は、練馬区関町南にある稲荷神社です。竹下稲荷神社は、当地周辺の竹下新田が開発(天明四年1784)された頃に創建したと推定されています。明治時代に入り、近隣にあった竹下厳島神社に合祀、さらに竹下厳島神社は天祖若宮八幡宮に合祀されましたが、平成3年に分離して竹下稲荷神社となったといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 蒼稲魂命 |
相殿 | 狭依姫命 |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭9月15日 |
住所 | 練馬区関町南2-3-22 |
備考 | - |
竹下稲荷神社の由緒
竹下稲荷神社は、当地周辺の竹下新田が開発(天明四年1784)された頃に創建したと推定されています。明治時代に入り、近隣にあった竹下厳島神社に合祀、さらに竹下厳島神社は天祖若宮八幡宮に合祀されましたが、平成3年に分離して竹下稲荷神社となったといいます。
「練馬の神社」による竹下稲荷神社の由緒
創建年代は不詳だが、江戸中期の竹下新田の開発(天明四年1784)の頃と考えられる。「文政六年 竹下新田地誌調写置」には「家数合拾九軒……天明四辰年八月開発……江戸ヨリ参ル案内開発浪人 竹下忠左衛門 子孫なし…竹下新田名主 政五郎」とあり、「新編武蔵風土記稿」竹下新田の項はこれを参考に「稲荷社 村民持。」と記している。この稲荷社が当社である。明治になると竹下の厳島神社に合祀され、更に、大正二年(1913)天祖神社(現天祖若宮八幡宮の前身)へ合祀となった。やがて平成三年、合祀を離れて元の社地(現在地)に戻り、新たに竹下稲荷神社と称した。
境内石造物で古いのは安政六年(1859)の水盤である。鳥居(明治21年)は昭和51年(1976)に天祖若宮八幡宮から返されたものである。社殿は安政四年(1857)の建築で、元は竹下の厳島神社のものであり、昭和五年(1930)に当地に移転した。玉垣新設記念碑(平成4年)がある。
境内樹木はスダジイが多く、イチョウ、アカマツ、クロマツ、トウカエデが太幹である。(「練馬の神社」より)
練馬区教育委員会掲示による竹下稲荷神社の由緒
青梅街道は、新宿から青梅を経て、甲府の東で甲州街道と合する道です。慶長十一年(1606)江戸城の大改修にあたって、青梅付近より産する石灰を江戸府内に搬入するために開かれたと伝えられています。
石灰搬送などの産業道路としてばかりでなく、御嶽山の参詣や、甲州裏街道として、旅人が行き交う街道でもありました。
この付近は江戸時代中頃に開発され、竹下新田と呼ばれていました。稲荷神社もその頃の創建と考えられ、「新編武蔵風土記稿」には村民持と記されています。大正二年(1913)以降は旧竹下新田の鎮守となりました。(練馬区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による竹下稲荷神社の由緒
(竹下新田)
辨天社
村の鎮守なり谷原村長明寺の持
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稲荷社
村民持(新編武蔵風土記稿より)
竹下稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)