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妙安寺|大田区蒲田にある日蓮宗寺院

妙安寺の概要

日蓮宗寺院の妙安寺は、行方山と号し、永禄(1558-69)年間の当所地頭、行方修理亮義安の室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に結んだ庵室を創建とします。

妙安寺
妙安寺の概要
山号 行方山
院号 -
寺号 妙安寺
住所 大田区蒲田4-18-15
本尊 一尊四士
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 もと別当:蒲田八幡神社



妙安寺の縁起

妙安寺は、永禄(1558-69)年間の当所地頭、行方修理亮義安の室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に結んだ庵室を創建とします。妙安尼没後、玄首院日建上人を勧請し開山しました。

「大田区の寺院」による妙安寺の縁起

永禄(1558-69)年間の当所地頭、行方修理亮義安が戦死の後、その室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのがこの地である。
尼は法華宗を信奉して、池上本門寺第12世仏寿院日現に帰依していたが、天正17年(1589)尼が没した後、庵室を寺とし、開山を日現として開創した。
開基は円光院妙安尼、行方の家号を以って山号とし、尼の法号を寺号としている。
「新編武蔵風土記稿」に所載せる八幡社(蒲田八幡神社)の神体は、明治初年の神仏分離に際して、当寺の七面堂に移され、安置していたが、戦災により焼失した。この神体は右手に軍配、左手に巻物を持った地蔵像で、寺の言い伝えによれば、開山日現が、古川薬師安養寺と寺宝を懸けて法論し、勝った日現が仁王像と地蔵像を持ち帰り、論破の証左として、軍配を持たしめたという。また毎年1月に行われていた八幡講大祭は、神像の焼失により廃止された。(「大田区の寺院」より)

新編武蔵風土記稿による妙安寺の縁起

境内1段4畝、鎮守八幡宮(蒲田八幡神社)の東隣にあり、法華宗、池上本門寺末、行方山と号す。相傳ふ、永禄の頃、当所の地頭行方修理亮義安が後室、円光院妙安尼夫義安が戦死の後斉藤政賢が屋敷の内に庵室をむすべり。此即この地なり。
尼平生法華宗を信じ、池上本門寺第12世佛寿院日現上人に帰依せり。天正17年妙安尼歿して後庵室について寺を興し、玄首院日建上人をして住持せしむ。日現をば勧請開山とせり。故に義安が家号を山号とし、尼の法名を寺号とせりとぞ。
客殿7間に6間半。本尊三寶を安ず。又釈迦如来の像あり。これは紀州養珠院殿の寄附したまひし像なりといへり。
天神社。門を入て左にあり。
七面堂。同邊にあり。
開基円光院墓。
客殿の前にあり。五輪の石塔なり。正面に円光院殿妙安日行大姉と刻し、傍に天正17年10月30日と彫る。(新編武蔵風土記稿より)


妙安寺所蔵の文化財

  • 妙安尼供養塔(大田区指定有形文化財)
  • 日蓮聖人坐像(大田区指定有形文化財)

妙安尼供養塔

宝篋印塔、高さ124cm。
御北条氏の被官人、当地の地頭行方修理亮義安の室、妙安尼の供養塔である。妙安尼は、義安の死後この地の豪族、兄斉藤政賢の屋敷内に庵を結び、池上本門寺12世日現に帰依し、天正17年(1589)に没した。その後この庵室が妙安寺となった。
この供養塔は、台石の銘文により寛永20年(1643)に造立されたと考えられる。(大田区教育委員会掲示より)

日蓮聖人坐像

桧材寄木造、彩色、玉眼。
像高36.7cm。
台座の裏に、慶長17年(1612)
石井新右衛門の発願によって造立された旨の墨書銘がある。この周辺に石井姓は多いが、石井新右衛門尉については明らかでない。後年修理塗替えが施されている。
在銘の祖師像として、本区では池上本門寺祖師像に次ぐ古いものである。(大田区教育委員会掲示より)

妙安寺の周辺図


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