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知行院|世田谷区喜多見にある天台宗寺院

知行院の概要

天台宗寺院の知行院は、龍寳山常楽寺と号します。知行院は、文明年間(1469-87)の草創と伝えられ、天正16年(1588)喜多見若狭守勝忠が館の鬼門除けの祈願所として開基、頼存法印が開山、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石2斗の御朱印状を拝領したといいます。明治6年喜多見小学校として使用されていたといいます。関東百八地蔵霊場99番霊場です。

知行院
知行院の概要
山号 龍寳山
院号 知行院
寺号 常楽寺
住所 世田谷区喜多見5-19-2
本尊 薬師如来座像
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 関東百八地蔵霊場99番



知行院の縁起

知行院は、文明年間(1469-87)の草創と伝えられ、天正16年(1588)喜多見若狭守勝忠が館の鬼門除けの祈願所として開基、頼存法印が開山、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領8石2斗の御朱印状を拝領したといいます。明治6年喜多見小学校として使用されていたといいます。

世田谷区教育委員会掲示による知行院の縁起

龍寳山常楽寺知行院
本尊は、薬師如来で延暦寺の末寺、文明頃(一四六九〜八七)の草創で、天正十六年(一五八八)頼存法印が中興開山といわれる。喜多見若狭守勝忠が館の鬼門除けの祈願所として、不動明王、閻魔大王をもあわせ祀り、除地若干を寄進した。また須賀神社の別当寺でもあった。
慶安二年(一六四九)江戸幕府より寺領八石二斗余の朱印状を受け幕末におよんだ。
明治六年本堂を喜多見小学校(現在の砧小学校)の仮校舎として使用した。(世田谷区教育委員会掲示より)

せたがや社寺と史跡による知行院の縁起

知行院(喜多見町3032)
本尊薬師如来座像、丈約2尺6寸(79cm)日光月光の両菩薩が脇侍である。竜宝山常楽寺と号し、天台宗で元祷善寺の末寺であった。開山は頼存法印で、天正年間(1588前後〉といわれ、寛永17年(1640)12月24日の示寂、開基はこの地の領主江戸氏の裔喜多見若狭守勝忠である。彼は父祖以来の居館地より艮に当る方位に当寺を、境外下野田の地に不動堂を建立、あるいは再建、鬼門除の祈願所とし、除地若干を寄進した。慶安2年(1649)徳川家光より8石2斗余の寺領朱印状を受け、以後代々の将軍より14代家茂まで続いた。後不動明王像は明治45年本堂に安置した。元の本尊は開山以来十一面観世音であったが、小体なので中興開山弁祐和尚の享保年聞(1716~36)に安阿弥作の阿弥陀如来(脇侍恵心作)を本尊とした。享保10年(1725)13世聚海和尚発願、 14世弁祐和尚の続願で本堂と山門を新築し現在に至る。同じ頃十王堂および運慶作といわれた閻魔像が頽破したので、閻魔座像約3尺(91cm)と倶生神各約1尺5寸(45cm)2体を新刻、堂をも改築、閻魔堂と改称した。16世常珍平和尚も堂を改修したが、明治12年22世能順和尚の代に頽破したので、取りこわし本堂に併置した。明治の初、本寺祷善寺が廃寺となり、その本尊脇侍とも慶元寺に遷し、さらに同21年当寺に遷したのが現在の本尊である。当寺の書類整理は碩学21世義円大和尚によってなされたものが多い。明治5年小学令発布、同6年3月本堂を仮校舎に開放、和尚も教鞭をとり、 3村内の子弟の教育に当った。すなわち砧小学校の揺藍である。関東大震災および度々の風害による本堂の頽破を25世智本和尚によって茅葺を瓦屋根に、その他大改修を施し、大正5年11月完成したが、山門の改修、客殿庫裡の新築は現住による。外総門および石塀・墓地の大拡張など外観の美をつくし面白を一新した。寺宝に寺領安堵の慶安2年10月17日付家光より14代家茂まで9通の朱印状、法華経8巻。元課3年(1690)、時の代官間瀬吉太夫検地の水帳、須賀乃神社別当時代の牛頭天王の神体および板木等外多数ある。この寺代々の住職が能筆家揃いで、寺の記録過去帳などが鄭重に整理されており他に余り例を見ない。明治12年に取りこわした閤魔堂の棟札に天正16年1月堂宇再建と記してあり、前の閻魔像は運慶作といわれ恐らく天正以前の古い草創であることはまぎれもない。一説に文明(1469〜87)年間といわれている。(せたがや社寺と史跡より)

新編武蔵風土記稿による知行院の縁起

(喜多見村)知行院
境内九百坪、村の東角小名本村にあり、龍寳山常楽院と號す、天台宗、府中深大寺の末、慶安二年十月十七日八石二斗餘の御朱印を賜ひしより今に替らず、開山は頼山とのみ傳へて、示寂の年を詳にせず、本堂六間半に五間、本尊弥陀木の立像二尺二寸を安す、元の本尊は十一面観音にて長二尺五寸なりしが、いつしか改めて今の本尊となれり、この寺も喜多見氏のちなみありや、其家の先祖代々の名を過去帳にのせたり。
閻魔堂。門を入て左にあり、二間四方、昔この寺に運慶が作れる十王ありしと傳れども今はなし、もしくは今の十王の腹ごもりにせしやなど主僧いへり。(新編武蔵風土記より)


知行院所蔵の文化財

  • 徳川3代将軍家光以下家茂まで9通の朱印状
  • 元課3年(1690)、時の代官間瀬吉太夫検地の水帳
  • 牛頭天王の神体および板木等

知行院の周辺図


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