舜栄山安隠寺|吉岡九郎左衛門が開基、玉川八十八ヶ所霊場
安隠寺の概要
真言宗智山派寺院の安隠寺は、舜栄山行王院と号します。安隠寺は、吉岡九郎左衛門が開基となり元禄年間(1688~1703)に創建したといいます。玉川八十八ヶ所霊場41番です。
山号 | 舜栄山 |
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院号 | 行王院 |
寺号 | 安隠寺 |
住所 | 世田谷区上祖師谷2-3-6 |
本尊 | 薬師如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安隠寺の縁起
安隠寺は、吉岡九郎左衛門が開基となり元禄年間(1688~1703)に創建、等々力の満願寺の権大僧都元光が寛政年(1789~1800)に中興したといいます。
せたがや社寺と史跡による安隠寺の縁起
舜栄山行王院安穏寺と号する。新義真言宗智山派に属し、川崎市小杉の西明寺の末寺である。明治維新の前後18年余り無住となり東覚院の兼務寺となる。この頃、寺の荒廃はなはだしく博徒が出入りする程のあれようであった。明治18年には風禍により本堂が倒壊したが大正14年まで再建されず庫裡を本堂として過した。このような状態であったので、寺に関する資料はほんど失われてしまったが、墓碑・石灯寵などから吉岡九郎左衛門が元禄年間(1688~1703)に開基したもの思われる。当寺3世の墓は吉岡九郎左衛門の裏山から運ばれたものである。また過去帳などから等々力の満願寺からきた権大僧都元光が寛政年(1789~1800)に中興したとも云われている。本尊は不動明王で木の坐像2尺2寸(約70cm)のものである。なお境外の地蔵堂には岩船地蔵尊を安置している。
『新編武蔵国風土記稿』の上祖師ケ谷村寺院の項目に「安穏寺除地四段五畝八歩東寄ニアリ。辛栄山行王院ト号ス。新義真言宗ノ橘樹郡小杉村西明寺ノ末、開山・開基ノ年歴ヲ伝ヘズ。客殿八間ニ七間半、本尊不動、木ノ坐像二尺二寸ヲ置リ。稲荷祠境内ノ鎮守ナリ。ワヅカナル社ニテ、神体は白幣ヲタツ。閻魔堂門ヲ入テ右ニアリ。四間ニ三間半。長二尺五寸許(ナル閻魔ヲ安ズ)。」とある。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による安隠寺の縁起
(祖師ケ谷村)安穏寺
除地、四段五畝八歩、東寄にあり、辛榮山行王院と號す、新義真言宗、當國都筑郡小杉村西明寺の末、開山開基の年歴を傳へず、客殿八間に七間半、本尊不動木の坐像長二尺二寸を置り。
稲荷祠。境内の鎮守なり、纔なる社にて神體は白幣を立つ。
閻魔堂。門を入て右にあり、四間に二間半、長二尺五寸許なる閻魔を安す。(新編武蔵風土記稿より)
安隠寺の周辺図