小山八幡神社|源頼信が奉斎、旧妙見社、池ノ谷八幡神社
小山八幡神社の概要
小山八幡神社は、品川区荏原にある八幡神社です。小山八幡神社の創建年代等は不詳ながら、長元3年(1030)に源頼信が誉田別尊を奉斎して当地の鎮守としたとも伝えられ、池の谷八幡とも称されたといいます。江戸期には、妙見神が合祀され妙見社と称していました。江戸時代までは当地に小丘(古墳)があったことから小山村と呼ばれてきたことから、旧村名より小山八幡神社と称します。また境内には、荏原七福神の一つ大国天が祀られています。
社号 | 小山八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 大黒神社、稲荷社 |
祭日 | - |
住所 | 品川区荏原7-5-14 |
備考 | 荏原七福神の大国天 |
小山八幡神社の由緒
小山八幡神社の創建年代等は不詳ながら、長元3年(1030)に源頼信が誉田別尊を奉斎して当地の鎮守としたとも伝えられ、池の谷八幡とも称されたといいます。江戸期には、妙見神が合祀され妙見社と称していました。江戸時代までは当地に小丘(古墳)があったことから小山村と呼ばれてきたことから、旧村名より小山八幡神社と称します。
「品川区の文化財」による小山八幡神社の由緒
元妙見八幡宮の扁額がかかげてあり、池ノ谷の高台にあるため池ノ谷八幡とも称している。古老の伝承によれば、鎌倉時代即に祀られており、少数の村民によって産土神として信仰され、年々祭祀がおこなわれてきたのである。年一回の祭礼の外、五節句にも別当摩耶寺住職によって祭りが行われていたと伝えている。(「品川区の文化財」より)
新編武蔵風土記稿による小山八幡神社の由緒
(小山村)妙見社
除地三段五畝、字瀧の原にあり。社は丘の上にあり。三間に四間。妙見八幡宮の五字を扁す。是によれば元は八幡を相殿とするにや。祭礼は年々九月二十八日、神楽を社前に奏す。鳥居あり。両柱の間九尺。前に石階十二級あり。当村摩耶寺の持。
末社。稲荷社、第六天社。以上共に小祠。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による小山八幡神社の由緒
創立年月日不詳。社伝に鎌倉幕府のころとある。口伝によると、長元三年(一〇三〇)源頼信公霊威を感得して、この誉田別尊を奉斎し、小山村字本村の氏神として崇敬したという。また妙見八幡とも、池の谷八幡とも称し誉田別尊ならびに妙見菩薩を祀り、身延山久遠寺米仏母山摩耶寺の支配であったともいわれる。明治五年十一月神仏分離令によって妙見菩薩摩耶寺に遷す。鎌倉期すでに氏子の信仰を受け年々祭祀を執行。境内の小丘(古墳跡)を取り小山の地名とした。またいう。古来武蔵国荏原郡小山村全体の鎮守であり、小山三丁目から小山七丁目まで、荏原三丁目から荏原七丁目まで、平塚四丁目、さらに平塚六丁目の一部、小山八丁目の一部におよぶ広大な氏子の範囲であったが、元禄年間(一六八八-一七〇四)宗教上の軋轢により、同村字三谷に分祀して氏子二分し、現在にいたると。(東京都神社名鑑より)
小山八幡神社所蔵の文化財
- 小山八幡神社シイ(品川区天然記念物)
小山八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「品川区の文化財」
- 東京都神社名鑑
- 三谷八幡神社|品川区小山の神社