浜川神社|品川区南大井の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

浜川神社|天明年間に厄神大権現を祀り創祀、鈴ヶ森厄神

浜川神社の概要

浜川神社は、品川区南大井にある神社です。浜川神社は、修験道寺院として天明頃(1781-1789)に厄神大権現を祀り創祀、明治維新で神社となり浜川神社と称したといいます。現在、天祖・諏訪神社の兼務社となっています。

浜川神社
浜川神社の概要
社号 浜川神社
祭神 須佐之男命
相殿 大物主命、少彦名命
境内社 天神社、金刀比羅社、弥兵衛稲荷社、浅間社
住所 品川区南大井2-4-8
備考 鈴ヶ森厄神、天祖諏訪神社の兼務社
公式サイト:濱川神社の案内



浜川神社の由緒

浜川神社は、福島三右衛門(教光院了善)が修験道寺院として天明頃(1781-1789)に厄神大権現を祀り創祀、明治維新で神社となり浜川神社と称したといいます。

「品川区の文化財」による浜川神社の由緒

当社の発祥は江戸期の修験である。天明頃(1781-1789)に福島三右衛門という者が、富士山、高尾山そして出羽羽黒山で修行して羽黒修験となり、自宅に厄神大権現を祀ったのが当社の始まりであるといわれている。
三右衛門はのちに教光院了善と称したが、江戸城大奥の女中や、諸大名から篤い尊信を受けていた。天保13年(1842)に了善は町奉行鳥居甲斐神のために穽られて流罪となったが、嘉永3年(1850)放免され、嘉永5年(1852)に了善の孫大野良顕が再興した。明治維新の神仏分離の際に当社は神社となって浜川神社と称し、良顕が還俗して神職となって奉仕した。
当社は江戸期には厄神と呼ばれて厄除けの神として尊崇されていたが、元来地元の鎮守でないため氏子がなく、信徒が各地に散在し講を結成している。
信徒が特に多いのは、東京湾を隔てた対岸の房総沿岸地域で、木更津から佐貫、鴨川にかけての漁村の人々の信仰を得ている。
江戸期には祭日にこれらの人達が舟で東京湾を横断して当社の前に上陸し、その日当社に参籠して翌日高尾山に参拝登山したといわれている。(「品川区の文化財」より)

「大井町史」による浜川神社の由緒

濱川神社
濱川神社は字南濱川千九百二十四番地に在り、祭神は須佐之男命・大物主命・少彦名命である。天明の頃福島三右衛門と云ふ者、幼少より信仰の念厚く、富士に登山し或は高尾の琵琶が瀧に至り、又は出羽羽黒山に於て修業を積んで羽黒修験となり、教光院了善と稱し、自宅に神祠を建て、厄神大権現を奉斎した。乃ち之が鎮座の始めであらう。今濱川町神山利右衛門氏所蔵の厄神大権現寛政三年五月二十四日と記せる一軸に見るも、天明の末若くは寛政の始めに本社を創立したことは推定し得られる。東都歳時記に
正月二十四日、五月二十四日、九月二十四日、鈴ヶ森厄神祭二十三日より執行
とある。今も此の日に祭典を行つて居る。蓋し之れが鎮座の時の祭日であらう。其の後了善を輪王寺宮より権大僧都に補任せられ、尋て天保時代に至り御城大奥の招請を蒙り、時の将軍の病気平癒を祈願して、其の恢復の際、希望を申せと仰せられ、丸の中に本一のしるしを賜りたき旨を申し上げ、夫より此のしるしを用ゆることとしたのであるといふ。茲に御城大奥始め諸侯の信仰も淺からず、歸依するもの頗る多くなつた。然るに當時町奉行鳥居甲斐守、本庄茂平次なる者を使嗾し、武運長久祈願の依賴を名とし、間を窺ひ竊に咒詛文を神祠に納れ置き、以て陥穽の具に供したといふことが傳へられる。
このことあつて教光院は流罪となり、後缺所となつて一切の文書は之を沒収せられた。之が天保十三年七月七日教光院七十九歳の時であつた。
之に就いては大井村鑑に
厄神社参詣群衆教光院の法力著しく御城御奥を始め薩摩家等御寄依有之盛なりけれども町奉行鳥居甲斐守の巧に懸られ犯罪の廉にて遠島被仰付
とある。後年遠山左衛門尉奉行の時、本庄茂平次の罪悪露はれ、嘉永三年九月、教光院は赦免せられ、再興勝手たるべしと仰聞られた。乃ち嘉永五年に教光院の孫大野良顯が再興して、明治の始に於ける神佛混淆の禁令に基き、濱川神社と改め、祭祀し来たのである。(「大井町史」より)

「東京都神社名鑑」による浜川神社の由緒

鎮座は天明年間(一七八一-八九)と伝えられているが、崇敬者は千葉県・神奈川県・東京周域におよんでいる。信仰形態は、その源が羽黒修験に出ているため、神事もその色彩が濃く、信者は神拝詞を唱和し、戦前は深夜に水行ののち「八十八社の厄病大神」と祈躊する声に近隣の人びとを驚かすものがあった。(「東京都神社名鑑」より)


浜川神社所蔵の文化財

  • 浜川神社文書(品川区指定文化財)

浜川神社文書(指定平成14年2月26日)

浜川神社は、江戸時代・天明の頃に修験者・教光院了善が厄神大権現として祀ったことに始まる。明治維新後、神社となり浜川神社と称した。厄神の信徒は上総・安房にも及び現在に至っている。
浜川神社文書は、前身である厄神社(厄神大権現)および浜川神社に関する文書と証文類で構成されている。保存状態もよく、大井地区の歴史だけでなく、江戸時代から近代に至る神社史を知る上でも貴重な資料である。(品川区教育委員会)

浜川神社の周辺図


参考資料

  • 「品川区の文化財」
  • 「東京都神社名鑑」
  • 「大井町史」


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「品川区の文化財」
  • 東京都神社名鑑