本立寺|品川区東五反田にある日蓮宗寺院

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妙建山本立寺|妙建山恵性寺を合寺

本立寺の概要

日蓮宗寺院の本立寺は、妙建山と号します。慶長2年(1597)に池上本門寺12世日惶が上目黒村に建立、創建したといいます。当地にあった妙建山恵性寺が廃寺となった際、本立寺を当地へ移し、山号を妙建山と改号しました。

本立寺
本立寺の概要
山号 妙建山
院号 -
寺号 本立寺
住所 品川区東五反田3-6-17
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本立寺の縁起

本立寺は、慶長2年(1597)に池上本門寺12世日惶が上目黒村に建立、創建したといいます。当地にあった妙建山恵性寺が廃寺となった際、本立寺を当地へ移し、山号を妙建山と改号しました。

「品川区の文化財」による本立寺の縁起

慶長2年(1597)に池上本門寺12世日惶が上目黒村に建立したのが当寺の始まりであり、開基は能勢市十郎頼永の妻、法性院天窓日忠といわれている。その後この寺は衰微して無住となったので、現在の場所にあった同宗の恵性寺の住職が兼帯していた。
貞享4年(1687)幕府の寺院整理政策によって恵性寺が廃寺とせざると得なくなったとき、同寺の住職が願い出て、本立寺の名跡を同寺に移して恵性寺の跡を残したものと伝えられている。

新編武蔵風土記稿による本立寺の縁起

(下大崎村)本立寺
除地四段五畝二十六歩、年貢地五段七畝九歩、見捨地三段七畝六歩、壽昌寺の北にあり、法華宗池上本門寺末妙建山と號す、慶長二年本寺十二世佛乗院日惺上目黒村二起立す、其後衰微して住僧もなく當所惠性寺より兼帯せり、然るに貞享四年新地の寺院を廢せられし時、惠性寺は正保四年の寺なれば則廢せらる、此時住持日演公に願ひ本立寺の山寺號を廢蹟に移し、同寺二世以下住僧の名を除き惠性寺開山性澄院日通を第二世として相續す、開山日惺は備前國福岡の人にて二條關白昭和實卿の猶子たり、天正九年相州鎌倉妙本寺池上本門寺兩山の住職となり、御府内に五ヶ寺を開き、又房總二州にも數ヶ寺を創せり、慶長三年七月六日示寂す、開基は野瀬市十郎賴永の妻なり、寛永十八年九月二十日死す法名法性院天窓日忠實は惠性寺の開基にて、同寺は此人死後七年に當り其菩提の爲起立すと云、本堂七間に六間本尊三寶を安ず、
太神宮。本堂の右にあり、境内の鎮守なり、三間に四間神體木像長三寸餘、正保四年厳有院殿の命によりて近江局(野勢攝津守賴次女なり)當寺に寄附すと云、社内に稲荷の神體長七寸なるを置、又日蓮の像あり長臺座二尺、
門前町屋。間口二間歩數四十二坪、延享二年町奉行の支配と成、(新編武蔵風土記稿より)


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本立寺の周辺図