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法蓮寺|品川区旗の台にある日蓮宗寺院、九老僧の越中阿闍梨朗慶、荏原七福神

法蓮寺の概要

日蓮宗寺院の法蓮寺は、八幡山と号します。法蓮寺は、文永年間に当地の領主荏原義宗が、子息徳次郎(越中阿闍梨朗慶、日蓮宗九老僧の一人)を出家させ、自邸を捨て当寺・旗岡八幡神社を創建したと伝えられます。江戸期には、別当を勤めていた八幡宮(旗岡八幡神社)が徳川家の祈願所となり、殊に39代僧日詮は、11代将軍家斉と相撲をとったと伝えられています。荏原七福神の恵比寿神です。

法蓮寺
法蓮寺の概要
山号 八幡山
院号 -
寺号 法蓮寺
住所 品川区旗の台3-6-18
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 もと旗岡八幡神社の別当、荏原七福神の恵比寿神



法蓮寺の縁起

法蓮寺は、文永年間に当地の領主荏原義宗が、子息徳次郎(越中阿闍梨朗慶、日蓮宗九老僧の一人)を出家させ、自邸を捨て当寺・旗岡八幡神社を創建したと伝えられます。江戸期には、徳川家の祈願所となり、殊に39代僧日詮は、11代将軍家斉と相撲をとったと伝えられています。

「品川区の文化財」による法蓮寺の縁起

文永年中荏原義宗は日蓮を尊崇するあまり、二子徳次郎を薙髪し、日朗の門に入れて名を朗慶と改める。義宗は宅をすて寺を建て、朗慶を開基開山とし、八幡社(旗岡八幡神社)の別当としたのである。
家康の入国後は、二代秀忠の祈願所に八幡社がなり、以来度々将軍の御成があり、数々の寄進もあり、中でも39世日詮は大奥女中の人気もあって、文化年中には八幡宮建立に力をかたむけたのであった。しかし天保十二年の改革(注:日蓮宗不受不施派の禁令)にあたり、江戸追放となったのである。(「品川区の文化財」より)

新編武蔵風土記稿による法蓮寺の縁起

八幡社(旗岡八幡神社)別当法蓮寺
本社の南にあり。法華宗池上本門寺末、八幡山と号す。古は長林山と号せしが、中頃今の号に改めしと云。開基は越中阿闍梨朗慶なり。朗慶は日朗の弟子、九老僧の一人にて、もと荏原左衛門義宗の子なり。
「本化佛組祖統紀九老傳」に云、荏原義宗は源義家の遠孫なり。世々武州荏原郡を領して此中延郷に入居住せしゆへに荏原を以氏とせり。家に八幡の神像を蔵せり。かつて其縁起を作りて其子朗慶に傳へたりと。
又、「高祖年譜」にも、康元元年祖師鎌倉に在し時、武州人荏原義宗・池上右衛門太夫宗仲(注:池上右衛門太夫宗仲は大坊本行寺を開基)来りて檀越となりし由を載たり。然れば義宗日蓮を崇信の余、つひに其子を薙染せしめて日朗の門に入しめしなり。後に義宗館地をすてて寺とし、八幡社を造り朗慶をして別当職を務しめしとぞ。
抑荏原氏の事は当国七党の内、猪俣党の庶流にも荏原氏あり。されども義宗は源家にて義家の末流なりしと云時は、猪俣党の荏原氏とは自ら別なるべし。今義家荏原氏の系図と云うもの世に傳へず。又他の記録にも所見なければ、総て詳なることを知らず。
寺宝
太刀二振
鎧一具
指物一本
古文書二通。
武州江原郡千束郷中延村八幡宮者、源家重代相傳之大菩薩也、今度奉日蓮聖人請当地之令鎮守勧請者也、
1.先祖御筆跡之内、書抜八幡大菩薩之縁起留置者也
1.頼信公御筆云、去寛仁年中蒙不思儀之夢想、則奉得木像八幡、恒崇敬之、告悪事令知善事、誠霊験不可勝計云云、
1.亦云、長元四年辛未七月上旬比、嫡男頼義父子共同蒙霊夢、不思儀哉、云不果於奥州忠常兵威強、而平直方も依無功召帰し、甲斐守頼信命して坂東の勢を給討しむ矣、果して如夢想、父子共に高名得たり云云、
1.頼義公御筆云、夫八幡大菩薩と者、忝も王城鎮護宗廟殊更源家崇敬霊神也、今木像先年奉得、霊應事難勝計、叉奉戦場所持軍功事父子共に数度也、実に我孫子可貴可崇敬、嫡子義家譲之者也云云、
長治二乙酉八月日
1.叉云、天喜五年比、頼時其子貞任残党聚合戦、此時頼義嫡子義家公彼八幡大菩薩祈誓請懐中して防戦父子共に如意にて国府帰る、此時敵味方義家武勇将八幡太郎と云傳たり、
1.義家公卿筆云、父頼義公奥州合戦従永承五年康平五年迄十年及り、其内関東武士振威事、誠以奉懐中八幡大菩薩之霊験也、擁護不可勝計、難宣言舌云云、
寛治五年十二月日
1.私云、頼信頼義公より今年迄百八十余年、以来雖為重代相傳、任瑞夢旧跡に奉勧請之、国士泰平源家天下安穏子孫繁昌祈者也、奥先祖頼義公旧跡に勧請しける鶴岡の八幡宮、豈有勝劣哉、彼は外宮此者内宮云云、
文永十年癸酉八月十一日 江原左衛義花押
越中阿閣梨譲之
譲状
武州江原郡奉勧請八幡宮者、先祖重代相傳之大菩薩也、去文永年中慈父左衛門入道義宗、我師日蓮上人契約当地勧請給也、彼意趣書源家三代之御左衛門尉筆日蓮上人御勧請之御本尊、
右者奉八幡御寶殿収者也、後代孫子相違有間敷所也
永仁二年午五月十一日 越中阿閣梨朗慶花押(新編武蔵風土記稿より)

将軍家斉と法蓮寺住職の角力伝承について

将軍家斉と法蓮寺住職の角力伝承
ここ法蓮寺には、徳川十一代将軍家斉と当時の住職日詮上人が角力を取ったという伝承があります。
家斉は品川か目黒筋への鷹狩の途中、中延八幡宮(今の旗岡八幡神社)に立ち寄られたという。そのとき別当寺であったここ法蓮寺の芝庭において、家斉は法蓮寺39代住職の日詮と角力を取ったとされ、このとき日詮上人は手加減せずに将軍を負かしたのでかえって賞されたというお話です。
江戸幕府が編纂した歴史書「徳川実記」の中には家斉が寛政から文政年間(江戸時代後期)にかけて幾度か品川周辺で鷹狩を行ったと書かれています。(品川区教育委員会掲示より)


法蓮寺の周辺図


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