興栄山朗惺寺|旧池上本門寺末頭・触頭、明治43年当地へ移転
朗惺寺の概要
日蓮宗寺院の朗惺寺は、興栄山と号します。朗惺寺は、日清上人が八丁堀に天正2年(1574)創建、明暦の大火により芝二本榎に移転したといいます。江戸時代には塔頭4ヵ寺を持ち、池上本門寺末頭・触頭として承教寺と共に江戸役寺を勤めていたといいます。明治43年当地へ移転しました。
山号 | 興栄山 |
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院号 | - |
寺号 | 朗惺寺 |
住所 | 品川区小山3-21-6 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
朗惺寺の縁起
朗惺寺は、日清上人が八丁堀に天正2年(1574)創建、明暦の大火により芝二本榎に移転したといいます。江戸時代には塔頭4ヵ寺を持ち、池上本門寺末寺の触頭として承教寺と共に江戸役寺を勤めていたといいます。明治43年当地へ移転しました。
東京名所図会による朗惺寺の縁起
朗惺寺
朗惺寺は、二本榎二丁目二十六番地に在り、興榮山と號す、日蓮宗、池上末、往時は承教寺と共に其觸頭にして、両寺隔月交代に之を勤めたりしとなり。
続江戸砂子に云、興榮山朗惺寺、池上末、池上觸頭、二本榎、開山日清上人、塔頭観理院、本壽院、玉泉院、圓明院、當寺は八町堀にありしなり。
八町堀より當地に移轉したるよしを記せり。舊幕府の頃には役寺にして、塔頭四院を有し、宗門の仰ぐところなりしも、後年、悉く支院を失ひ、舊観に復するを得ず。(東京名所図会より)
朗惺寺所蔵の文化財
- 説法像(品川区登録文化財)
朗惺寺の周辺図