法仙庵|共同墓地を管理するため慶應年間に創建
法仙庵の概要
曹洞宗寺院の法仙庵は、杉並区阿佐ヶ谷北にある寺院です。法仙庵は、阿佐谷村名主・第十代・相沢喜兵衛と玉野惣七が発起人となり創設した共同墓地を管理するため、観音庵(現新宿区新宿7-3-13)から実山見道尼を初代庵主に請じて慶應年間(1865-68)に創建したといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 法仙庵 |
住所 | 杉並区阿佐ヶ谷北2-38-22 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法仙庵の縁起
法仙庵は、阿佐谷村名主・第十代・相沢喜兵衛と玉野惣七が発起人となり創設した共同墓地を管理するため、観音庵(現新宿区新宿7-3-13)から実山見道尼を初代庵主に請じて慶應年間(1865-68)に創建したといいます。
杉並区教育委員会掲示による法仙庵の縁起
当庵は、釈迦如来坐像を本尊とする寺院です。
その初めは文久年間(1861-63)阿佐谷村名主・第十代・相沢喜兵衛と玉野惣七が発起人となり散在していた家墓を集め、村共有の地に地割を平等にして作った共同墓地です。
そして、墓地管理のため、相沢家の土地に本堂を建立し慶應年間(1865-68)江戸浅草・海雲寺(現杉並区成田東4-18-9)末寺・観音庵(現新宿区新宿7-3-13)より実山見道尼を初代庵主として請じて、開創したのが当庵です。
本堂は戦災で焼失したため昭和三十一年に再建されたものです。
東側の塀に沿った道は、権現道と呼ばれた古道で練馬円光院子の権現(貫井5-7-3)におまいりに行く参詣道でした。今でこそ賑わっているパールセンターの通りも権現道で、大正の初めごろは、雑木林や畑の中の道でした。また、当庵墓地の北側は茅山で、狐がすんでいたということです。これらの昔の姿は全く失われましたが、わずかに、その狭い道幅や曲がりぐあいが、古道の面影を残しています。
当庵の文化財としては、文法二年(1318)・元徳三年(1331)・宝徳元年(1449)銘及び年代不明二基の板碑五基があります。この板碑については「新編武蔵風土記稿」阿佐谷村小名小山の項に「此所ニ古碑五基アリ三基ハ文字磨滅シテ見ヘス二基ハ文保二年元徳三年トシルセリ」とあり、また、「武蔵名勝図会」にも同様の記述があることから、これらの板碑は、この地域を知る上から極めて貴重な史料と言えます。(杉並区教育委員会掲示より)
法仙庵の周辺図