松苔山西方寺|四谷追分に創建、大正9年当地へ移転、山の手三十三観音
西方寺の概要
浄土宗寺院の西方寺は、松苔山峯巌院と号します。西方寺は、元蓮社享誉上人利阿貞儀和尚(万冶元年1658年寂)が開山となり、元和3年(1617)四谷追分(現新宿区新宿3丁目23番・新宿駅北側付近)に創建したといいます(一説には慶長2年1597年開創)。中央線の拡幅と道路の拡張のため大正9年当地へ移転しています。山の手三十三観音霊場17番です。
山号 | 松苔山 |
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院号 | 峯巌院 |
寺号 | 西方寺 |
住所 | 杉並区梅里1-4-56 |
本尊 | 木造阿弥陀如来坐像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 松苔幼稚園併設、山の手三十三観音霊場17番 |
西方寺の縁起
西方寺は、元蓮社享誉上人利阿貞儀和尚(万冶元年1658年寂)が開山となり、元和3年(1617)四谷追分(現新宿区新宿3丁目23番・新宿駅北側付近)に創建したといいます(一説には慶長2年1597年開創)。中央線の拡幅と道路の拡張のため大正9年当地へ移転しています。
杉並区教育委員会掲示による西方寺の縁起
当寺は、松苔山峯巌院と号する浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来坐像です。
「文政寺社書上」によると、元和3年(1617)四谷追分(現新宿区新宿3丁目23番・新宿駅北側付近)に開山である本蓮社心誉利通により開創されました。一説には慶長2年(1597)開創ともいわれています。
開基は、徳川三代将軍家光の弟、駿河大納言忠長といわれ、その由緒を称え、忠長の法号「峯巌院」を寺号とし、忠長の豊臣家との縁により、寺紋は「五三の桐」にしたと伝えられています。
その後も寺地を替えることなく四谷追分にありましたが、文政12年(1829)、明治31年と二度の火災に遭い、大正9年、中央線の拡幅と道路の拡張のため現在地へ移転してきました。
昭和20年5月、戦災により堂宇の悉くを焼失しました。現在の伽藍は、昭和56年5月に再興されたものです。
当寺の所蔵する「絹本著色阿弥陀三尊来迎図」は、十四世紀仏画の白眉といわれています。
その他、境内には承応2年(1653)銘の六観音石幢、延宝7年(1679)銘の如意輪観音像など多数の石仏や、明治の豪商山城屋和助の墓、あるいは食鳥を供養する鳥塚(明治38年造立)や外南洋機動舟艇部隊殉難烈士供養塔などがあります。
また、墓地中央の供養塔には、区制施行以来の区内御許不明行旅死亡人の遺骨が安置されています。(杉並区教育委員会掲示より)
「牛込區史」による西方寺の縁起
兩實山天照院西方寺 増上寺末
起立年代不詳、開山元蓮社享譽上人利阿貞儀和尚、萬治元年七月廿九日遷化。中興精蓮社進譽上人勇阿全明和尚、寛政十三年四月十七日遷化。舊境内古跡八百五十五坪、済松寺領年貢地。(「牛込區史」より)
御府内寺社備考による西方寺の縁起
増上寺末 牛込馬場下
両宝山天昭院西方寺、境内古跡855坪済松寺領年貢地
起立相知不申候。
開山元蓮社享誉上人利阿貞儀和尚万冶元戌年7月29日遷化。
中興精蓮社進誉上人勇阿令明和尚寛政13年4月17日遷化。
本堂、間口6間奥行5間半。本尊、阿弥陀如来、木佛坐像丈2尺5寸。観世音菩薩、大勢至菩薩、各木佛立像丈2尺4寸。善導大師、元祖大師、各木佛立像丈2尺3寸。内佛本尊阿弥陀如来、恵心作木佛立像1尺5寸。
観音堂、土蔵造り2間ニ9尺。拝殿2間四方。三国伝来千手観世音菩薩、金佛立像丈2寸8分。
以上丁亥書上。(御府内寺社備考より)
西方寺所蔵の文化財
- 本著色阿弥陀三尊来迎図(杉並区指定文化財)
- 承応2年(1653)銘の六観音石幢(杉並区指定文化財)
- 延宝7年(1679)銘の如意輪観音像
西方寺の周辺図