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清徳寺|杉並区梅里にある日蓮宗寺院

清徳寺の概要

日蓮宗寺院の清徳寺は、日登山と号し、寛永6年(1629)承教寺(港区二本榎)に住した僧日任が麻布北日ヶ久保(現港区六本木6丁目)に開山しました。当初不受不施派の池上本門寺末でしたが、池上本門寺が受派の身延山久遠寺末になると、不受不施派法華寺(現天台宗円融寺)末となり、不受不施派禁止令により、小湊誕生寺末となりました。大正2年(1913)当地へ移転しています。

清徳寺
清徳寺の概要
山号 日登山
院号 -
寺号 清徳寺
住所 杉並区梅里1-4-23
本尊 十界曼荼羅本尊
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



清徳寺の縁起

清徳寺は、寛永6年(1629)承教寺(港区二本榎)に住した僧日任が麻布北日ヶ久保(現港区六本木6丁目)に開山しました。当初不受不施派の池上本門寺末でしたが、池上本門寺が受派の身延山久遠寺末になると、不受不施派法華寺(現天台宗円融寺)末となり、不受不施派禁止令により、小湊誕生寺末となりました。大正2年(1913)当地へ移転しています。

杉並区教育委員会掲示による清徳寺の縁起

当寺は、日登山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界曼荼羅本尊です。
寺伝によると、寛永6年(1629)麻布北日ヶ久保(現港区六本木6丁目)に開山最上日任、開基陽証院日乗により開かれました。当地は年貢地で742坪、元、麻布本村の名主又左衛門の所有地を赤坂の住人久保屋三右衛門が買取り、寄進したといわれています。
開山最上院日任は、池上本門寺の触頭、承教寺の住僧であったことから、当寺は池上本門寺の末寺として開かれたと考えられます。その後、一時碑文谷法華寺(現目黒区円融寺)末となり、元禄6年(1693)には小湊誕生寺末として、身延山久遠寺の指揮下に入りました。
元禄8年2月8日、四谷伝馬町よりの大火は当寺にも及び、その後も宝暦6年(1756)、同10年、弘化2年(1845)と度々の火災は堂宇と寺宝を焼き尽くしました。従持は、その旅毎に再興に努めましたが、弘化の火災では伽藍の整備には至らず、大正2年(1913)寺院の発展を図って、現在地に移転してきました。
しかしここでも関東大震災、太平洋戦争と二度にわたる被災により堂宇に損傷を受け、昭和40年以降寺内を整備し、現在に至っています。
また当寺には、当初朱塗りの山門があったことから赤門寺ともよばれていました。
文化財としては、承応2年(1653)銘の一塔両尊像、寛文年間(1661-73)造立の日蓮上人像、享保11年(1732)造立の日蓮大菩薩五輪塔などがあります。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による清徳寺の縁起

開山日任は、池上本門寺の触頭承教寺(港区二本榎)に住した僧で、開創当初不受不施派池上本門寺末であったらしい。しかし、他宗の供養を受けない、また施さないとする不受不施論争で敗北した池上本門寺が受派久遠寺の支配下となると、池上本門寺を離れ、不受不施派の目黒碑文谷の法華寺(現天台宗円融寺)の傘下に入ったが、幕府による不受不施派弾圧と禁止が行われた寛文5年(1665)法華寺を離れて誕生寺末になったと伝える。江戸期における日蓮宗不受不施派の歴史を知る上で、当寺の動向は大きな役割をもつであろう。(「杉並の寺院」より)


清徳寺の周辺図


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