鐡砂山世尊寺|豊島左近将監輝時が開基、荒川辺八十八ヶ所、根岸古寺めぐり5番
世尊寺の概要
真言宗豊山派寺院の世尊寺は、鐡砂山観音院と号します。世尊寺は、豊島左近将監輝時が開基、賢栄(永和4年1378年寂)が開山となり応安5年(1372)創建したという古寺で、慶安2年(1649)には寺領7石5斗の御朱印状を拝領したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場1番、根岸古寺めぐり5番、御府内二十一ヶ所霊場12番札所となっています。
山号 | 鐡砂山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 世尊寺 |
住所 | 台東区根岸3-13-22 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場1番札所、根岸古寺めぐり5番札所 |
世尊寺の縁起
世尊寺は、豊島左近将監輝時が開基、賢栄(永和4年1378年寂)が開山となり応安5年(1372)創建したという古寺で、慶安2年(1649)には寺領7石5斗の御朱印状を拝領したといいます。
「下谷區史」による世尊寺の縁起
世尊寺(中根岸町八八番地)
京都仁和寺末、鐡砂山観音院と號す。應安五年九月の創建にかゝり、開基は豊島左近将監輝時、開山は僧賢榮である。幕府より二石五斗の朱印地を給せられてゐた。(「下谷區史」より)
新編武蔵風土記稿による世尊寺の縁起
(金杉村)世尊寺
同末(新義真言宗、足立郡本木村吉祥院末)、鐵砂山観音院と号す。寺領7石5斗慶安2年8月御朱印を附せらる。当寺は應安5年豊島左近将監輝時建立す。開山賢栄永和4年11月晦日寂せり。本尊大日。
聖天社。豊島輝時が守本尊と云。相殿や薬師も同、石尊十羅刹稲荷合社。
大師堂。弘法大師自作の像を安す。長1尺7寸。又堂中に不動愛染を安せり。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
世尊寺所蔵の文化財
- 紙本墨書御遺告(台東区登載文化財)
- 絹本着色仏涅槃図(台東区登載文化財)
- 絹本墨画普賢・文殊菩薩画像(台東区登載文化財)
紙本墨書御遺告
御遺告とは、平安時代初期に真言宗を開いた高僧空海の遺言書といわれているものです。25の箇条書きとなっていて、第1条の空海略歴にはじまり、第2条より第25条までは真言宗のさまざまな規約を記しています。
空海の伝記は、平安時代中期より著されていますが、時代が下るにしたがい歴史的事実ではない伝説が加えられ、伝記史料としての価値は低いものが少なくありません。その中で、御遺告の空海伝はもっとも古く、信憑性の高いもののひとつで、空海の実像を考える際には欠くことのできない史料です。
また、京都の東寺・神護寺・珍皇寺、和歌山県高野山金剛峯寺、奈良県室生寺・大安寺など、真言宗教団の寺院が果たすべきさまざまな役割を定めています。さらには、僧侶の生活の実態等にも言及し、平安時代中期の真言宗の動向、僧房生活のありさまを知る上で、もっとも信頼できる史料です。
御遺告の原本は、残念ながら現存していませんが、東寺や高野山等に多くの写本があります。これらの写本には、最後尾に書写した年代や人物名を記しています。これは「奥書」といって、書写年代の僧侶の動向、当時の文字の書風を知ることができ、宗教史や美術史を学ぶ上で、とても重要な史料となります。
世尊寺に現存する御遺告の奥書には、寛喜2年(1230)に東寺の弘賢という僧侶が写したと記されています。その他にも、弘賢が手本とした御遺告写本が、弘賢の手に入るまでの経緯についても記しており、鎌倉時代中期の東寺僧侶の動向を知る上で重要な文献史料です。加えて、世尊寺の御遺告は、多くの御遺告写本の中でも古い年代に写されたもののひとつで、きわめて貴重です。
絹本墨画普賢・文殊菩薩画像
本図は2幅一対で、大きさはともに縦67.4cm、横38cm。
普賢は象に乗り経巻を広げ、文殊は獅子の背に坐して上目づかいに見据えるさまで、いずれも一部をのぞき、ほぼ墨線のみで表現しています。背景の岩や苔の描き方に初期水墨画の特徴が見られるところから、南北朝時代の制作と思われます。
絹本着色仏涅槃図
釈迦の入滅のさまを描いた「仏涅槃図」は区内の寺院に多数現存していますが、本図もそのひとつです。右の上部に「貞享元年歳次甲子臘月八日僧秀卓峰薫沐敬写」とあり、江戸時代前期の貞享元年(1684)12月8日に卓峰道秀という人物が描いたものです(署名では「道」字を略しています)。卓峰は、承応元年(1652)京都西本願寺の絵師であった徳力之勝の長男として生まれました。幼少より父から絵を学びましたが、寛文10年(1670)には黄檗宗の総本山万福寺の僧侶高泉の弟子となり禅宗の修学にも励んでいます。
彼のように、絵師であり、僧侶でもあった人物を「画僧」といいます。画僧たちは、自らの属する宗派に則した仏画を描くことにより、布教活動の一旦を担いましたが、卓峰もまた、禅宗に関わる多くの仏教絵画を描いています。
図は、身を横たえた釈迦を中心とし、その周囲には泣き叫ぶ多くの弟子や鳥獣を配しています。上部には日輪・月輪をひとつの円で表現するほか、沙羅双樹の木立、跋提河という川を描いています。ただし、右上部から雲に乗って飛来する摩耶夫人(釈迦の母親)は、卓峰が描いたものではなく、後の加筆と思われます。
本図は、作者が禅宗に属する人物ですから、当初は禅宗寺院に所蔵されていたものでしょうが、真言宗の世尊寺に納められた経緯については明らかではありません。
世尊寺の周辺図