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天嶽院|台東区西浅草にある浄土宗寺院

天嶽院の概要

浄土宗寺院の天嶽院は、光明山遍照寺と号します。天嶽院は、天正18年(1590)に創建、円蓮社満誉善空上人(寛永13年1636年寂)が開山したといいます。明暦3年(1657)当地へ移転、五世慧蓮社日誉聞徹上人(延宝8年1680年寂)が中興、江戸末期には塔頭2ヶ院を擁していたといいます。当寺の銅造阿弥陀如来坐像は台東区有形文化財に指定されている他、「平洲小語」「詩経夷考」を著した細井平洲墓があります。

天嶽院
天嶽院の概要
山号 光明山
院号 天嶽院
寺号 遍照寺
住所 台東区西浅草3-14-1
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



天嶽院の縁起

天嶽院は、天正18年(1590)に創建、円蓮社満誉善空上人(寛永13年1636年寂)が開山したといいます。明暦3年(1657)当地へ移転、五世慧蓮社日誉聞徹上人(延宝8年1680年寂)が中興、江戸末期には塔頭2ヶ院を擁していたといいます。

御府内寺社備考による天嶽院の縁起

芝増上寺末浅草北新寺町
光明山遍照寺天山獄院境内古跡拝領地千八百坪
天正十八寅年起立。元地桜之馬場辺ニ有之。其後年月不知馬喰町ニ移り、其後明暦三酉年亦々今之地ニ引移り申候。
開山円蓮社満誉善空上人、寛永十三丙子年正月十四日寂。
中興五世慧蓮社日誉聞徹上人、延宝八庚申年五月十五日寂。
本堂間口七間奥行六間。
本尊阿弥陀如来座像
両祖大師像
開山円蓮社満誉善空上人像
名体不離之名号円光大師筆
観世音唐仏手島観音ト号ス(縁起省略)
大仏唐銅座像、銘云延宝八年五月十五日
鎮守熊野権現絵像、当所鎮守社無ニ付此所ニ安置ス一幅
大鐘銘ニ云、延宝三甲寅十月廿七日再鋳
塔頭。
松樹院。開祖称蓮社単誉残貞、元禄八乙亥四月二日寂。本尊三尊弥陀如来立像。
専修院。開祖明蓮社光誉了巴、年月不知十五日寂。本尊弥陀如来立像。
長松院。
光樹院。
貞松院。
右三ヶ院之内、長松院、光樹院ハ年月不知畳置、貞松院ハ文化七午年畳置申候。
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)


いいお墓

天嶽院所蔵の文化財

  • 銅造阿弥陀如来坐像(台東区登載文化財)
  • 細井平洲墓(東京都指定旧跡)

細井平洲墓

江戸時代中期折衷学派の儒学者。享保13年(1728)尾張国知多郡に生まれた。名は徳民。通称甚三郎。延享年間に名古屋に出て、中西談淵に学び、やがて江戸に出て芝三島町(港区芝大門1丁目)に談淵とともに業柱社をおこした。出羽米沢藩主上杉鷹山に招かれて藩校興譲館の教学振興に努め、藩政改革の教学面を指揮して、改革理念の普及、家臣団の統制に大きな役割をはたした。また、天明3年(1783)には、尾張名古屋藩に招かれて藩校明倫堂の督学兼継述館総裁となり、民衆強化に努めた。享和元年(1801)6月29日江戸尾張藩邸で没した。著書に「平洲小語」「詩経夷考」などがある。(東京都教育委員会より)

銅造阿弥陀如来坐像

本像は、天嶽院墓地の最奥に安置されています。像高129.4cm。ふっくらとした顔貌に、均整のとれた体躯で、両手は法界定印という印相を結び、結跏趺坐の形をとります。像背面の銘文によると、延宝8年(1680)に太田久兵衛正儀という鋳物師が、当寺第5世住職の聞徹の依頼で制作したことが分かります。ただし、銘文にある日付は聞徹の死去した日であることから、聞徹の遺言により、その死後まもなく造立にかかり、その命日を刻んだものと思われます。
太田久兵衛正儀は神田鍋町(現、千代田区鍛冶町2・3丁目)に住み、現存する遺品として、他に和歌山県高野山奥之院の寛文6年(1666)銘の地蔵菩薩像を製作しています。なお、宝永5年(1708)に江戸六地蔵を鋳造したことで著名な「太田駿河正儀」は、久兵衛正儀の孫と思われます。
本像は制作が優秀である上、制作者・年代が明らかで、江戸時代の鋳造彫刻を考える際の重要な資料です。加えて、天嶽院住職の依頼による鋳造であり、当寺の歴史をも教えてくれます。

天嶽院の周辺図