石岡山妙福寺|台東区谷中にある日蓮宗寺院
妙福寺の概要
日蓮宗寺院の妙福寺は、石岡山と号します。久遠成院日親聖人が、応永年間肥前国加瀬郡加瀬町に妙福寺を創建、14世日春上人が当地へ上京、等光院(東光院)として庵室を営み、肥前妙福寺を庵室へ移しました。開山日親聖人、中興日春聖人です。
山号 | 石岡山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙福寺 |
住所 | 台東区谷中1-7-41 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙福寺の縁起
妙福寺は、久遠成院日親聖人が、肥前国加瀬郡加瀬町に妙福寺と号して応永年間(1394-1427)に創建、14世日春上人が慶安年間(1648-1651)に江戸へ上京、本阿弥十一代目光温(法名常住院光温日良、寛文7年1667年卒)が寺地を寄進して等光院(東光院)として庵室を営み、肥前妙福寺を庵室へ移したといいます。
「下谷區史」による妙福寺の縁起
妙福寺(谷中坂町七八番地)
京都本法寺末、本尊十界曼荼羅。石岡山と號す。萬治二年二月、久遠成院日親即ち有名な鍋冠日親上人の開くところである。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による妙福寺の縁起
京都本法寺末 谷中不唱小名
石岡山妙福寺、境内玉林寺借地425坪。
当寺、久遠成院日親聖人、応永年間草創にして、肥前国加瀬郡加瀬町ニ罷在候処、十四代目等光院日春志願御座候て、慶安年中御当地罷出候て、本阿弥光温与申者、示合地面を此所相求、一宇建立シて号等光院与置。段々抽丹誠、肥前国妙福寺を此所江引移。当代京都本法寺相定候。寛文3年3月20日遷化致し候。依之、己来開山日親聖人中興日春聖人与唱来、開基旦那本阿弥十一代目光温、法号は常住院光温日良与申候。寛文7年5月2日、65歳にて病死。本阿弥は当寺建立己前より妙法寺旦那故、今に菩提寺は妙法寺、祈願所は当寺与相定置候。
開山久遠成院日親聖人。長享2年9月17日、82歳に而入寂。
中興日春聖人十四代目。肥前国御当所引移、万冶年中にも御座候哉。
客殿。釈迦牟尼仏、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩。日蓮大菩薩、別院ニ安置。日常聖人同断。釈迦牟尼仏同断。七面大明神座像同断。大黒天神座像同断。鬼子母神同断。
鎮守、稲荷大明神、寛文元年本阿弥建立。以上丙戌書上。
寺新地寄帳にハ東光院とあり。右東光院儀、肥前国妙福寺末にて則、兼帯候故、妙福寺と寺号相改度段、壱岐守方江願出、元禄6年2月9日、願之通寺号可相改旨申渡ス。御府内寺社帳。(御府内寺社備考より)
妙福寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」