宝樹院|西東京市泉町にある真言宗智山派寺院

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慈光山宝樹院|保谷四軒寺、多摩八十八ヶ所霊場

宝樹院の概要

真言宗智山派寺院の宝樹院は、慈光山薬王寺と号します。源空法印(正徳元年1711年寂)により旧字上宿に開山したと伝えられます。昭和6年(1931)当地に移転しました。如意輪寺寶晃院、西光寺(現総持寺だが移転したため、東禅寺に変更)と共に保谷四軒寺と呼ばれています。多摩八十八ヶ所霊場34番です。

宝樹院
宝樹院の概要
山号 慈光山
院号 宝樹院
寺号 薬王寺
住所 西東京市泉町2-7-25
本尊 薬師如来像
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 新区画墓地受付
備考 宝樹院幼稚園併設、多摩八十八ヶ所霊場34番



宝樹院の縁起

宝樹院は、源空法印(正徳元年1711年寂)により旧字上宿に開山したと伝えられます。昭和6年(1931)当地に移転しました。

新編武蔵風土記稿による宝樹院の縁起

寶樹院
境内年貢地7石、村の東邊にあり。是も真言宗新義、三宝寺の末、慈光山薬王寺と号す。開山源空法印正徳元年9月13日寂す。本堂6間に4間半、本尊薬師如来坐像尺余、作佛と而巳言傳へて詳ならず。
地蔵堂。境内にあり、2間半に2間。
弁財天社。境内にあり、1間半四面の祠、弁天の石像を安す。(新編武蔵風土記稿より)


宝樹院所蔵の文化財

  • 一文銭向い目絵馬二枚(西東京市指定文化財)

一文銭向い目絵馬二枚

宝樹院は江戸幕府の寺院本末制によって、江戸時代初期万治2年(1659)、如意輪寺寶晃院とともに新義真言宗本山三宝寺(現、練馬区石神井台一丁日)の末寺となりました。それ以前の開山年次は不詳ですが、昭和6年(1931)現在地に移転するまでは旧字上宿にあって、薬師如来を本尊とする密教の祈祷寺でした。
薬壷を手にした薬師如来は薬師仏、薬師瑠璃光如来などとも別称され、関係の経典には大医王仏として病の苦から人々を救済する如来と説かれ、古くから現世利益信仰の対象となっていました。宝樹院も村寺の中の薬師を本尊とする寺として、病気平癒を願う信者の信仰を集め、檀信徒の求めに応じて祈祷が行われていました。戦前までは十二日が薬師の縁日とされ、この日は市も立って村外を含む信徒が参集したといいます。
「一文銭向い目絵馬」二枚は、薬師の縁日などに奉納された多くの絵馬のうち、現在に残された貴重な二枚であり、宝樹院の薬師信仰を伝える資料でもあります。通常「向い目絵馬」は墨書きされますが、この二枚は寛永通宝を並べて平仮名の「め」の字二つを、向かい合わせるように貼ってあります。眼病平癒を祈って奉納されました。(西東京市教育委員会掲示より)

宝樹院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿