四木山宝樹寺|遊行二世他阿真教創建、聲阿彌稲荷社
宝樹寺の概要
時宗寺院の宝樹寺は、四木山声寿院と号します。宝樹寺は、遊行二世他阿真教が嘉元2年(1304)に創建したといいます。境内の聲阿彌稲荷社は遊行四十一世独朗が寛文2年(1662)当寺へ化益の際に勧請したものだといいます。
山号 | 四木山 |
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院号 | 声寿院 |
寺号 | 宝樹寺 |
住所 | 八王子市大横町10-18 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝樹寺の縁起
宝樹寺は、遊行二世他阿真教が嘉元2年(1304)に創建したといいます。境内の聲阿彌稲荷社は遊行四十一世独朗が寛文2年(1662)当寺へ化益の際に勧請したものだといいます。
新編武蔵風土記稿による宝樹寺の縁起
(横町)寳樹寺
除地、二段二畝、西側にあり、四木山と號す、時宗なり、元禄の比までは相州藤澤清浄光寺の末に屬せしが今は郡中川口村法蓮寺の末寺なり、遊行第二世他阿上人眞教和尚嘉元二年の起立なり、中興開山呉阿上人は元應元年正月廿七日、相州無量光寺に於て入寂す、本堂二間半に六間半、本尊彌陀を安す。
聲阿彌稲荷社。本堂の南にあり、二間に三間、寛文四年十一月遊行四十一世勧請せり。
閻魔堂。本堂の右にあり二間半四方、十王の木像を安す、共に坐身也。(新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による宝樹寺の縁起
宝樹寺(大樹寺―大横町大横町九六)
前記法蓮寺末に属す。元禄(一六八八~一七〇四)のところまでは藤沢の大本山清浄光寺の直末であったが、其後法蓮寺末と改められた。山号四木山、遊行二世他阿真教、嘉元二年(一三〇四)創立であるから本寺法蓮寺と同開山であり、同時代の創立である。中興開山呉阿(元応元年 一三一九 正月相州無量光寺で示寂)、本尊阿弥陀仏である。
なお、当寺境内南側に声阿弥稲荷社がある。寛文二年(一六六二)遊行四十一世独朗が当寺へ化益のみぎり勧請したものであるが、文化元年(一八〇四)全焼した。天保一一年(一八四〇)当寺三十二世真空の再建である。
また北側に閻魔堂があり、座身の十王木像を奉安してある。幸にも当寺は附近の大善寺・福全院・極楽寺の三カ寺と共に昭和二〇年八月の八王子戦災に焼失をまぬがれた寺である。(「八王子市史」より)
宝樹寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」