大乗山智香寺|文京区大塚にある浄土宗寺院
智香寺の概要
浄土宗寺院の智香寺は、大乗山廣大院と号します。智香寺は、傳通院殿御荼毘地となった当地に、傳通院第四世叡譽聞悦上人聞悦大和尚の発願によって正保元年(1645)に、叡譽聞悦上人を開山として、当寺二世信譽貞存和尚が創建したといいます。
山号 | 大乗山 |
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院号 | 廣大院 |
寺号 | 智香寺 |
住所 | 文京区大塚3-28-12 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
智香寺の縁起
智香寺は、傳通院殿御荼毘地となった当地に、傳通院第四世叡譽聞悦上人聞悦大和尚の発願によって正保元年(1645)に、叡譽聞悦上人を開山として、当寺二世信譽貞存和尚が創建したといいます。
「小石川區史」による智香寺の縁起
大乗山廣大院智香寺。浄土宗鎮西派、知恩院末。本尊阿彌陀如来。當寺開創の由来は光岳寺と同じで、正保元年傳通院第四世叡譽聞悦上人の發願により、傳通院殿荼毘の遺跡地に建てられ、寺號も傳通院殿の法號に因んだものである。但し實際の當寺創建者は第二世の信譽貞存和尚である。『文政書上』には境内除地千八百坪、内門前町屋有と記されてゐる。(「小石川區史」より)
東京名所図会による智香寺の縁起
智香寺は。竹早町百十三番地に在り。大乗山と號す。浄土宗にして傳通院の末なり。
小石川志料に云。純庸按。當寺院號江戸砂子に廣天院と書し。江戸志に廣大院と書し。過去帳には廣度院と書したれば。住僧に叩きしに。江戸砂子及び江戸志に記したるは。未だ聞かず。
過去帳に載たるは増上寺の院號なれば。もとより誤りなり。正しき院號は定かならずと。
江戸志に云。寺傳云。開山は登蓮社叡直心上人聞悦大和尚。御尊母傳通院殿御葬禮場の御遺跡なり。境内六十間四方。中央御塚松一株あり。
寛永十五戊寅年。聞悦和尚此地に於て二寺を開基す。彼御法號を分けて。智香寺光岳寺両寺となし。御遺跡を護る故。聞悦和尚を開基始祖とす。第二世信誉貞存和尚也。ほのかに聞く。貞存和尚當寺住職して長時の勉め懈なく。自ら弥陀の尊像を造り。佛殿に安置す。御長二尺四寸也。並に二十五菩薩を造立し。常修念佛の霊場とす。爾後明暦三年貞存。回向院に移り住す。其時念佛を移して彼寺の式法となす。是故に當寺常修の廃ること三十餘年也。然るに本山十三世貞誉上人復び當寺念佛を興し。
元禄三辛未年三月十五日高駕を此場に廻らし。重ねて常念佛を開闢し給ふと云。(東京名所図会より)
智香寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会