長祟山妙興寺|日蓮宗の由緒寺院、野呂檀林
妙興寺の概要
日蓮宗寺院の妙興寺は、長祟山と号します。妙興寺は、曽谷氏の一族曽谷四郎右衛文直秀(道崇)が開基となり、中老僧大受阿闍梨日合上人を開山に迎えて建治元年(1275)野呂に創建、里見氏の兵乱により永禄12年(1569)堂宇焼失、天正年間(1573-1593)に当地へ移転し再建したといいます。慶長年間(1596-1615)には中妙院日観上人が野呂檀林(養成機関)を設立、隆盛を誇っていたといいます。日蓮宗の由緒寺院(本山)です。

山号 | 長祟山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙興寺 |
住所 | 千葉市若葉区野呂町738 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙興寺の縁起
妙興寺は、曽谷氏の一族曽谷四郎右衛文直秀(道崇)が開基となり、中老僧大受阿闍梨日合上人を開山に迎えて建治元年(1275)野呂に創建、里見氏の兵乱により永禄12年(1569)堂宇焼失、天正年間(1573-1593)に当地へ移転し再建したといいます。慶長年間(1596-1615)には中妙院日観上人が野呂檀林(養成機関)を設立、隆盛を誇っていたといいます。日蓮宗の由緒寺院(本山)です。
「千葉縣千葉郡誌」による妙興寺の縁起
妙興寺
妙満寺末にして本尊は釋迦牟尼佛なり。檀林は舊跡なり。堂宇間口八間奥行十一間、境内坪數三千二百七十九坪、境内に佛堂三宇あり、境外所有地四町一反五畝三歩、檀徒五百五十人あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
「日蓮宗寺院大鑑」による妙興寺の縁起
妙興寺
建治元(1275)年12月1日の創立。開山大受阿闍梨日合(永仁元年(1293)10月11日寂)。開基檀越曾谷道祟。通師法縁。永禄12年里見兵乱により七堂伽藍全焼のため加納ヶ丘より現在地に移転。天正5年山火のため全焼。天正年間諸堂再建。慶長年間に下総野呂檀林開説。天保5年諸堂全焼のため閉講。天保7年庫裡その他を再建。慶応年間三度目の本堂を建立。35世能治院日妙は身延久遠寺41世へ。38世寂隆院日応は身延久遠寺45世へ。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
妙興寺の周辺図
参考資料
- 「千葉縣千葉郡誌」
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 公式サイト:長崇山『妙興寺』の紹介/日蓮宗由緒寺院本山