飯出山能満寺|下総四郡八十八所霊場
能満寺の概要
船橋市飯山満町にある真言宗豊山派寺院の能満寺は、飯出山と号します。能満寺は、尊慶法師が天和2年(1682)に創建したと伝えられます。吉橋組大師講より奉納された八十八ヶ所札所大絵馬は、船橋市有形民俗文化財に指定されています。吉橋大師八十八所霊場12・86番、下総四郡八十八所霊場12番です。
山号 | 飯出山 |
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院号 | - |
寺号 | 能満寺 |
住所 | 船橋市飯山満町1-581 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
能満寺の縁起
能満寺は、尊慶法師が天和2年(1682)に創建したと伝えられます。
「船橋市史」による能満寺の縁起
能満寺
真言宗。『真言本末』に船橋村西福寺の門徒寺として載せられている。『県寺明細」には「天和二壬戌年三月創立、(中略)尊慶法印開基」とある。天和二年(一六八二)に創立され、開基は光明寺開基の僧と同名別人の尊慶であるとする。しかし、僧名と干支が同一であることには若干疑義もあるであろう。(「船橋市史」より)
「千葉縣千葉郡誌」による能満寺の縁起
能満寺
二宮村字飯山満にありて、本尊虚空蔵尊を安置す。天和二年三月の創立にして開祖弘法大師法孫分派開祖興教大師法孫尊慶法師開基寺格墨衣一色。堂宇間口七間奥行き五間なり。境内坪數七百三十四坪、境内堂宇の薬師堂あり。二町四段歩餘を有し、檀徒三百五十一人あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)
能満寺所蔵の文化財
- 八十八ヶ所札所大絵馬(船橋市指定有形民俗文化財)
八十八ヶ所札所大絵馬
四国の八十八ヶ所の霊場を巡拝する遍路は江戸時代には、全国的に盛んに行われるようになった。また、各地に新四国八十八ヶ所や准四国八十八ヶ所と呼ばれる霊場も作られ、人々の信仰を集めていた。
船橋市に関わる霊場として吉橋組大師講札所と葛飾大師講札所がある。この能満寺と高根町の観行院はともに新義真言宗豊山派に属する寺院で、それぞれ吉橋組大師講の札所となっている。両寺には吉橋組大師講の札所の配置と順路を描いた扁額形式の大絵馬が、それぞれ一面ずつ奉納されている。
当寺の奉納されている絵馬は、画風や技法から江戸時代末から明治頃に作られたものと推定される。杉の三枚板に彩色で描かれたものえ、八十八ヶ所の寺堂の絵と「十二番下飯山満 能満寺」というように札所の番次、地名、寺社名が書込まれている。能満寺のみには礼拝する男女二人が描き添えられている。(船橋市教育委員会掲示より)
能満寺の周辺図
参考資料
- 船橋市史
- 「千葉縣千葉郡誌」