船橋山西福寺|吉橋大師八十八所霊場、東三十三所観音霊場
西福寺の概要
船橋市宮本にある真言宗豊山派寺院の西福寺は、船橋山清浄心院と号します。西福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には近隣に末寺・門徒寺を擁する小本寺格の寺院だったといいます。東三十三所観音霊場26番、吉橋大師八十八所霊場38番、下総四郡八十八所霊場31番です。
山号 | 船橋山 |
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院号 | 清浄心院 |
寺号 | 西福寺 |
住所 | 船橋市宮本6-16-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西福寺の縁起
西福寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には近隣に末寺・門徒寺を擁する小本寺格の寺院だったといいます。明治23年近隣にあった西光院・万福寺・宝光院・花蔵院・善法寺・東福院を合寺しています。
「船橋市史」による西福寺の縁起
(五日市村)西福寺
真言宗。船橋山と号する。前記村鑑(享和三年1803年の「村鑑明細書上帳」)には本尊は阿弥陀如来とある。印旛郡宇那谷村(千葉市)大聖寺の末寺。西福寺も末寺として谷津村(習志野市)西光寺・久々田村(習志野市)東漸寺・五日市村東光寺、門徒寺として田喜野井村正法寺・下飯山満村能満寺・米ヶ崎村無量寺・七熊村不動院・五日市村西光院・同村宝光院・同村花蔵院・同村東福院・同村万福寺・同村真蔵寺・谷津村延寿寺を配下としていた。大聖寺は醍醐三宝院の末寺であるから、醍醐三宝院-大聖寺-西福寺-末寺・門徒寺という重層的な上下関係であった。西福寺の位置の寺は小本寺と称された。この本末関係は水戸彰考館文庫蔵の、寛政七年の前記「寺院本末帳」によるもので、寛永十年の「関東真言宗新義本末寺帳」には大聖寺の末寺としては、西福寺一箇寺のみが記されている。「船橋村書上帳」には境内七反歩とある。当寺も戊辰戦争の兵火で焼失した。(「船橋市史」より)
「船橋町史」による西福寺の縁起
西福寺
船橋山清浄心院は眞言宗豊山派總本山長谷寺の管轄に屬し、末寺七ヶ寺を有する十六等地の小本寺なり。其の開基未だ詳ならず。眞覺とて或いは寶淋坊西福ともいふ。高徳奉祀即ち長剛の時本堂を改築し梵鐘を鑄造す。後戊辰の兵火にかゝり暫く荒廢に委せしを現在の住快善僧都に及ひて本堂並に庫裡を修築す。昭和九年大師堂鐘楼改築す。梵鐘の表面には經文を刻し、裏面に維文化戊九年十月吉祥日、當山法流三十三世現住長剛代、下總國葛飾郡船橋五日市船橋山清浄心西福寺とあり。本尊は阿彌陀如来なり。境内に俗に船橋三位様と稱する二基あり。伏原二位宣條卿船橋式部大輔則實の碑なりといふ。一は塔石五層高六尺臺石方四尺一寸、一は塔石五層高八尺臺石方四尺一寸あり西墓共皆文字なし。(「船橋町史」より)
西福寺の周辺図
参考資料
- 「船橋市史」
- 「船橋町史」