福寳山西棲院|東三十三所観音霊場
西棲院の概要
市川市国府台にある浄土宗寺院の西棲院は、福寳山専精寺と号します。西棲院は、上人猛譽進勇比丘が開基となり元禄8年(1688)浅草に創建、本郷への移転を経て墨田区太平へ移転、本所霊山寺の塔頭だったといいます。関東大震災により被災し昭和3年(1928)当地へ移転したといいます。東三十三所観音霊場16番です。
山号 | 福寳山 |
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院号 | 西棲院 |
寺号 | 専精寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市川市国府台5-26-60 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西棲院の縁起
西棲院は、上人猛譽進勇比丘が開基となり元禄8年(1688)浅草に創建、本郷への移転を経て墨田区太平へ移転、本所霊山寺の塔頭だったといいます。関東大震災により被災し昭和3年(1928)当地へ移転したといいます。
「千葉県浄土宗寺院誌」による西棲院の縁起
当院はその昔、東京浅草にあったが、その後本郷に移転し、天明の大火に焼けてから本所太平町に移り、さらに大正一二年(一九二三)の大震災を蒙って昭和三年(一九二八)現地に移転した。
その開基は元禄元年(一六八八)、即ち今より二九九年前、猛譽上人の開基にかかり、初めは開山堂であり、のち隠居所式の別院となっていたと称せられる。度々祝融の災を蒙っているため、記録の残存するものなく詳細を知り難いが、寺格高く御朱印等も多くあったと伝えられる。
別に上州太田大光院・呑龍上人の御分身を奉安し、子育て開運等に太田の呑龍様と寸分変わらぬ御守護あるため、昔からの信仰者で遠くよりたずねて参詣に来る者が多かった。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)
西棲院の周辺図
参考資料
- 「市川市内の寺院明細帳」