吉祥院三夜堂|柏市泉にある真言宗豊山派寺院

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吉祥院三夜堂|下総四郡八十八所霊場、東葛印旛大師八十八ヶ所霊場

吉祥院三夜堂の概要

真言宗豊山派寺院の吉祥院三夜堂は、(宗教法人)吉祥院の一堂宇で、廿三夜堂を略して三夜堂と呼ばれ聖観音を祀っています。吉祥院の創建年代等は不詳ながら、庚申待板碑(おせし様)が天文4年(1533)銘であることや、片山南蔵院の過去帳に吉祥院住職隆長(慶長19年1614年寂)の名が残されていることから、少なくとも江戸時代初期には活動していたとされます。八月二十三日の施餓鬼会の日には数多くの参詣者を集め、駒木諏訪神社の夏祭りと並び、「お諏訪帰りは泉の三夜」と呼ばれていたといいます。明治18年に手賀西小学校(中等泉小学校)が創立された際、吉祥院本堂を校舎として供用され、三夜堂のみが残されていますが、手賀西小学校庭の南側約半分は吉祥院の所有だそうです。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場70番・下総四郡八十八所霊場70番、また龍泉院不動堂に奉安されていた東葛印旛大師八十八ヶ所霊場31番が近年遷されています。

吉祥院三夜堂
吉祥院三夜堂の概要
山号 -
院号 吉祥院
寺号 -
住所 千葉県柏市泉544
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



吉祥院三夜堂の縁起

吉祥院三夜堂は、(宗教法人)吉祥院の一堂宇で、廿三夜堂を略して三夜堂と呼ばれ聖観音を祀っています。吉祥院の創建年代等は不詳ながら、庚申待板碑(おせし様)が天文4年(1533)銘であることや、片山南蔵院の過去帳に吉祥院住職隆長(慶長19年1614年寂)の名が残されていることから、少なくとも江戸時代初期には活動していたとされます。八月二十三日の施餓鬼会の日には数多くの参詣者を集め、駒木諏訪神社の夏祭りと並び、「お諏訪帰りは泉の三夜」と呼ばれていたといいます。明治18年に手賀西小学校(中等泉小学校)が創立された際、吉祥院本堂を校舎として供用され、三夜堂のみが残されていますが、手賀西小学校庭の南側約半分は吉祥院の所有だそうです。当時の吉祥院は檀家を持たない祈禱寺院だったことから学校として供用しやすかったのかもしれません。

境内掲示による吉祥院三夜堂の縁起

三夜堂・おせし様板碑
ここは古い歴史をもつ吉祥院の寺域ですが、建物はこの「三夜堂」だけになってしまいました。近くのおせし様板碑は、天文四年(一五三三)この地の有力者が造立した「庚申供養塔」の碑です。(境内掲示より)

「沼南町史」による吉祥院三夜堂の縁起

現在、手賀西小学校に隣接した低地の大銀杏と二十三夜堂が、当院境内の所在を示している。しかし、小学校校庭の南側約半分は当院の所有であり、現在は学校に貸与しているが、かつてはここに諸堂が建立されていた。
龍泉院の『准四国八十八ケ所道案内之図』(明治五年画)によれば、吉祥院の堂宇は本堂と二十三夜堂が並列して描かれている。また、明治十二(一八七九)年十一月ニ十日調査の『寺院明細帳』により、本堂の規模が六間×四間半であったことが知られる。ところが、手賀西小学校が明治十八(一八八五)年四月に創立された際(当初は中等泉小学校)、その校舎は吉祥院の本堂を改修して用いたという。これらのことから、当院は明治十八年にはすでに寺院としての機能を失っていることが知られる。
当院の創立は不詳である。本寺の龍泉寺(我孫子市中峠)にも記録がない。ただ、寺域に隣接して天文四(一五三五)年建立の庚申待板碑(通称おせし様、町指定文化財)が存在し、また慶長十九(一六一四)年に寂した吉祥院住職隆長の名が、片山南蔵院の過去帳に記載されることなどから、当院の歴史は少なくとも戦国期以前に遡ることができよう。
当院は、元来特定の檀家はもたず、もっぱら信徒によって維持される祈祷寺院であったといわれる。江戸時代には、当院は泉村の別当として鎮守を掌管する権限を有していたことが、多くの記録によって知られている。二十三夜堂に往古の神輿を現存していることも、こうした当院の性格を物語るものである。
現存する二十三夜堂は、通称”三夜堂”といわれる。幕末の建造であるが、大井の福満寺に同名の小堂宇があるものの、大きな堂宇としては非常に珍しく、近隣市町にも見当たらないといわれる。本尊の聖観音は文殊・普賢の両脇侍を伴い、立派な宮殿に祀られている。堂宇の建立は、この宮殿が作られて入仏供養が行われた嘉永元(一八四八)年と同時期であろうと推定される。ニ間四方の寄棟造りでもと茅葺であったが、昭和三十年代に鉄板葺きに改装された。
堂の左手に建つ二十三夜塔の小石塔は、昔、字三夜の水田中から出土したものである。右の字名は、本石塔の出現にちなむといわれる。二十三夜の月待ち行事については不詳であるが、前掲の庚申待板碑の存在などからみて、おそらくは庚申信仰と結びついて行われた古い行事であったと思料される。恒例の八月二十三日の施餓鬼会の日には、昔は参詣人が群集し、前日に行われる諏訪神社(流山市駒木)の夏祭りと並べて、「お諏訪帰りは泉の三夜」と詠われたという。
かつて丘上にあった歴住塔数基は、小学校敷地の拡張によって、現在は龍泉寺の墓地に移転されている。また、境内には大師堂があり、新四国第七〇番を祀っている。(「沼南町史」より)


吉祥院三夜堂の周辺図

参考資料

  • 「沼南町史」
  • 「千葉縣東葛飾郡誌」