龍泉寺|我孫子市中峠にある真言宗豊山派寺院
龍泉寺の概要
我孫子市中峠にある真言宗豊山派寺院の龍泉寺は、南命山と号します。龍泉寺の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が関東巡錫の折に中里字東原に創建したといい、平将門の乱の折に罹災したものの、大徳良仁法印が再建といいます。天文年間(1532-1555)権大僧都永楽法印の代に中峠字芝原へ移転、南命山と改号、江戸時代には末寺14ヶ寺と擁していた本寺格の寺院だったといいます。新四国相馬霊場八十八ヶ所76番です。
山号 | 南命山 |
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院号 | - |
寺号 | 龍泉寺 |
住所 | 我孫子市中峠1423 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍泉寺の縁起
龍泉寺の創建年代等は不詳ながら、弘法大師が関東巡錫の折に中里字東原に創建したといい、平将門の乱の折に罹災したものの、大徳良仁法印が再建といいます。天文年間(1532-1555)権大僧都永楽法印の代に中峠字芝原へ移転、南命山と改号、江戸時代には末寺14ヶ寺と擁していた本寺格の寺院だったといいます。
「我孫子市史」による龍泉寺の縁起
開山、開基とも不詳であるが、現在は第四十代という。草創についての伝説が『湖北村誌』には「伝ふる処によれば延暦年中弘法大師関東巡錫の砌、雄大縹渺たる手賀湖の風景を愛し、湖畔の岡陵中里村東原に在りし草庵に杖を留め、大師自ら波切不動尊の像を刻みて之を其の庵室に安置し、鷹法山龍泉寺と称せしと云ふ」と記してある。けだし、我孫子の寺院で最も古い草創伝承である。
将門の天慶の乱のとき兵火によって伽藍焼失、大徳良仁法印再建、延慶二年(一三〇九)に後二条天皇の皇子遍智院聖雲法親王が相馬巡錫の途次ここに留庵されたとの伝えがある。
ついで、嘉吉元年(一四四一)に開祖一世大僧正隆忠法印が東原に伽藍造営、延徳二年(一四九〇)罹災、明応元年(一四九二)に復旧したが、永正五年(一五〇八)にまた罹災したという。かくして、権大僧都永楽法印のとき現在の芝原の地に寺を移し、山号も南命山と改めた。天文年間(一五三二~五五)のことである。
そののちのことも、罹災によって古記録等一切が失われて、不明であるが、当山は中相馬七カ村を祈願檀徒と称し、所在の神社を管掌するなど、当地で甚だ重きをなし、末寺は、青山無量院、中峠法照院、同照明院、古戸観音院、中里宝蔵院、新木地蔵院、沖田長福寺、都部東光寺、下ケ戸西音寺、柴崎円福寺、久寺家宝蔵寺、高野山最勝院、沼南和泉吉祥院、同若白毛長学院の十四カ寺に及んだ。
元文五年(一七四〇)の「中峠村田畑社地不残大概書」の「寺社方御除地」の項には、「一、五反弐畝拾三歩、寺屋敷、真言宗南命山龍泉寺」とあり、旧山門の垂木に「享保十二年(一七二七)未三月十六日、中峠村龍泉寺」の墨書が発見されて、堂宇造営の歴史の一端が知られた。その山門は『湖北村誌』の口絵に鐘楼堂と記してあるものであろう。安政二年(一八五五)の火災のとき罹災をまぬがれたもので、茅葺の楼門であった。なお、文久元年(一八六一)に茅葺の門が別に建てられ、近年まで存続していたが、これも取壊されて今はない。
明治の「寺院明細帳」には、「木堂間数 間口五間 奥行二間半 大師堂建物 間口四尺 奥行六尺 鐘楼堂建物 間口壱間五尺 奥行壱間三尺」とある。本堂については、大正十一年の石橋架設勧進の文書に、堂宇は安政の火災で烏有に帰し今は仮堂となったとある。また、鐘楼堂にかかっていた梵鐘は戦時中供出されたが、そのときの覚書に略図があって高さ二尺八寸(約八五cm)、口径二尺一寸(約六四cm)、淵二寸(約六cm)と寸法を記入し、「昭和十七年十二月七日施シテ僧侶三人して供養スル」と註してある。
このような状祝で、堂宇は氷く仮堂のまま推移した。ようやく昭和三十年に至り、東京上野東叡山内凌雲院の本堂庫裡の寄贈があって、それが移築され、さらに四十七年には本堂内陣が増築された。
現在の山門は、谷中観智院旧在の大正年代建立の門を移建したもので、丸柱二本の上に瓦葺の四注の屋根をかけた棟門である。棟の両端には資鴟尾形の瓦がのり、丸柱には控柱と両袖塀がついている。
当寺の本尊は、不動明王及び二童子で、内陣の厨子に納めてある。
什物では、元禄二年(一六八九)銘の金剛盤及び天保八年(一八三七)銘の鏧子が伝存しており、安鎮曼茶羅一幅がある。安鎮蔓茶羅は上野凌雲院旧蔵のもので、箱に「天保三壬辰歳九月五日」とある。図は、不動明王坐像を中心として青不動八体を配し、八葉の蓮弁に騎獣の諸天八体を描いて八方天に宛てる。密教で、新宅安鎮のための修法を行うのに用いる曼茶羅で絹本極彩色の美しい曼茶羅図である。
大師堂は、明治年代の建物に代えて、正面二間、側面二間半の建物が宛てられている。それは入母屋造、瓦葺、正面中央一間分が蔀戸で、半間の仏壇をつくって、木造及び石造の大師像その他の仏像が安置されている。(「我孫子市史」より)
龍泉寺の周辺図
参考資料
- 我孫子市史