金龍山行念寺|柏市中新宿にある浄土宗寺院
行念寺の概要
浄土宗の行念寺は、金龍山不退院と号します。行念寺は、東漸寺を開山した行蓮社經譽上人愚底運公大和尚が、退隠所として明応3年(1494)に創建したといいます。
山号 | 金龍山 |
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院号 | 不退院 |
寺号 | 行念寺 |
住所 | 千葉県柏市中新宿1-6-3 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
行念寺の縁起
行念寺は、東漸寺を開山した行蓮社經譽上人愚底運公大和尚が、退隠所として明応3年(1494)に創建したといいます。
境内石碑による行念寺の縁起
浄土宗行念寺
当山は金龍山行念寺不退院と称し、千葉県柏市中新宿一丁目六番地三号(旧庚申塚)に在る。寺号の「念仏を行する寺」として法然上人の念仏の教えを本尊阿弥陀如来のもと今日に守り伝えている。
創建は、室町後期の明応二年(一四九三年)三月小金東漸寺開山・經譽愚底上人(増上寺三世聖観上人の弟子)の開基である。
鷲野谷医王寺・二ツ木常行院と並び愚底上人開基の東漸寺末である。
境内墓所には愚底上人の無縫塔がある。
部落全十四戸を祖徒とする。
貞享三年(一六八六年)九月十七日の火災により、本堂・庫裡を焼失し、元禄四年(一六九一年)聖譽上人により庫裡再建がなされた。その後、東漸寺に護寺されたときもあったが昭和十年(一九三五年)吉井泰順上人が住職に就き、当山再興に努めた。
昭和四十三年(一九六八年)には、本堂(鉄筋造)を復興し、庫裡(木造)を再建した。例年、八月二十一日に大施餓鬼会、十一月二十日には十夜法要が全檀徒により奉修されている。
平成十八年八月吉日(境内石碑より)
「柏市史」による行念寺の縁起
行念寺
中新宿村字庚申前に所在。金龍山と号し、葛飾郡小金町(松戸市)東漸寺の末寺。本尊は阿弥陀如来。(「柏市史」より)
「柏市史資料編土・千代田村誌」による行念寺の縁起
行念寺
土村中新宿字庚申前六十番地ニ在リ。山号ヲ金竜山ト称ス。後土御門天皇明応二年(皇紀二千百五十三年)三月ノ創建ニシテ、行蓮社経誉上人ノ開基ナリト云ふ。阿弥陀如来ヲ本尊トス。檀徒十四戸アリ。東葛飾郡小金町東漸寺ノ末派ニシテ浄土宗ナリ。霊元天皇貞享三年(皇紀二千三百四十六年)九月十七日ノ夜祝融ノ災厄ニ遇ヘ、本堂及ビ庫裡焼失セシガ、檀徒ノ信仰厚キヲ以テ東山天皇元禄四年(皇紀二千三百五年)十月行念中興。聖誉上人ノ代現在ノ伽藍ヲ再建シ、毎年八月二十一日ヲ以テ施餓鬼ヲ修行ス。暫ク無住ニシテ、東葛飾郡小金町東漸寺住職宇津宮学賢兼務セリ。(「柏市史資料編土・千代田村誌」より)
「千葉県浄土宗寺院誌」による行念寺の縁起
明応三年(一四九四)、東漸寺開山・經譽上人の退隠所として創建された。昭和初期まで無住で、僅か一一軒の檀家により外護されてきた。昭和一〇年、先代・吉井泰順上人が住職となるに及び、寺務を務め毎月回向に廻り、漸く戦後本堂を復興、庫裡を木造で新築した。近時檀家も増加して今日に至っている。(「千葉県浄土宗寺院誌」より)
行念寺の周辺図
参考資料
- 「柏市史」
- 「柏市史資料編土・千代田村誌」
- 「千葉県浄土宗寺院誌」