日照山医王寺|松戸七福神の毘沙門天
医王寺の概要
真言宗豊山派寺院の医王寺は、日照山歓喜院天竜坊と号します。医王寺は、寛永年間(1624-1644)に越後から不動明王を背負って来た僧侶が、当地で祈願したところ、流行していた疫病を鎮めることができたことから、高木治右衛門吉久境内地を寄進して医王寺と称したといいます。松戸七福神の毘沙門天、江戸川八十八ヶ所霊場76番です。
山号 | 日照山 |
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院号 | 歓喜院 |
寺号 | 医王寺 |
住所 | 松戸市中金杉4-189 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
医王寺の縁起
医王寺は、寛永年間(1624-1644)に越後から不動明王を背負って来た僧侶が、当地で祈願したところ、流行していた疫病を鎮めることができたことから、高木治右衛門吉久境内地を寄進して医王寺と称したといいます。
「松戸のお寺」による医王寺の縁起
真言宗豊山派日照山医王寺
当山は正式には、日照山歓喜院天竜坊医王寺といい、ご本尊は「不動明王」をお祀りしています。
創建は江戸時代の始め、寛永年間(一六二四~一六四四)。遠く越後(現在の新潟)より一人の僧侶が不動明王を背負い、この地にやって来ました。
当時この土地では疫病が流行しており、その不動明王に祈願したことで鎮めることが出来たそうです。このことがご縁となり、このお不動さまをこの地でお祀りすることになりました。
殊に信仰篤かった高木治右衛門吉久が、現在の境内地を寄進して、堂宇を建立し、病を鎮めたことから「医王寺」と呼ばれるようになりました。今日でも、お正月と五月・九月のご縁日(二十八日)にはお護摩を炊いて皆さまの幸せをご祈願しています。
また、松戸七福神の一ヶ寺として毘沙門天をお祀りしています。毘沙門天は印度の神さまですが、多聞天とも呼ばれ仏教四天王の一尊です。左手の塔には仏さまの多くの知恵を具え、右手の宝棒は悪霊を退散させ、気力と財宝をさずけるといわれています。(「松戸のお寺」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による医王寺の縁起
医王寺
中金杉字道六神ニアリ。坪数二百七十坪、日照山ト号ス。真言宗新義派ニシテ大谷口大勝院ノ末寺ナリ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
医王寺の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」