法峯山華厳寺|松戸七福神の弁財天
華厳寺の概要
真言宗豊山派寺院の華厳寺は、法峯山地蔵院と号します。華厳寺の創建年代等は不詳ながら、坂川と富士川の分岐点に橋が掛けられた、鎌倉時代末期の開山と伝えられます。橋に祀られていた地蔵尊を、名主中山庄左右衛門が自宅に安置したところ夢のお告げを得て、一寺を建立、法峯山地蔵院華厳寺としたといいます。松戸七福神の弁財天、江戸川八十八ヶ所霊場2・5番です。
山号 | 法峯山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 華厳寺 |
住所 | 松戸市幸田4-189 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
華厳寺の縁起
華厳寺の創建年代等は不詳ながら、坂川と富士川の分岐点に橋が掛けられた、鎌倉時代末期の開山と伝えられます。橋に祀られていた地蔵尊を、名主中山庄左右衛門が自宅に安置したところ夢のお告げを得て、一寺を建立、法峯山地蔵院華厳寺としたといいます。
「松戸のお寺」による華厳寺の縁起
真言宗豊山派法峯山華厳寺
当山の開山は、鎌倉時代末期、花園天皇の御世と伝えられています。逆川(現在の坂川)と富士川の分岐点に身の丈ほどの地蔵尊が橋として架けられた折、当時の37ヶ村の名主中山庄左右衛門は、夜中に渡るたびに泣き声を聞きました。村人にお地蔵さまを運ばせ、自宅の土間に安置したところ、その夜、お地蔵さまが夢枕に立ち、「今日まで水難によって苦しんだが、救ってもらったお礼に後々の世まで火防地蔵尊としで村民を守ろう」とのお告げがありました。
庄左右衛門は法峯山地蔵院華厳寺を建てて地蔵尊を安置し、長く帰依することを誓いました。以来、当地区には700年余経った現在も一軒の火災もなく、多くの方々の生命や財産をお守り頂いております。
これに因んで2月24日には火防護摩供が修され、火災除け、無病息災、家内安全が祈られ、村民一同まことの心とご利益を仏の心として信仰して参りました。また、毎年1月2日には火渡り祭が行なわれ、火防の祈願を致しており、千余名に雑煮などが振る舞われ、多くの人々の参拝で賑わいを見せております。さらに松戸七福神のうち弁財天が、そしてまた、水子地蔵尊もお祀りされております。(「松戸のお寺」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による華厳寺の縁起
華厳寺
幸田字花輪ニアリ。法峯山ト号ス。真言宗新義派ニシテ大谷口大勝院ノ末寺ナリ。(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
華厳寺の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」