藤崎山正福寺|習志野七福神の布袋尊
正福寺の概要
習志野市藤崎にある真言宗豊山派寺院の正福寺は、藤崎山と号します。正福寺は、慶長二年(一五九七)の棟札があったといい、安土桃山時代には既に創建していたといいます。習志野七福神の布袋尊、吉橋大師八十八所霊場11・40番、下総四郡八十八所霊場11番です。
山号 | 藤崎山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 正福寺 |
住所 | 習志野市藤崎2-11-9 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正福寺の縁起
正福寺は、慶長二年(一五九七)の棟札があったといい、安土桃山時代には既に創建していたといいます。
「習志野市史」による正福寺の縁起
正福寺
藤崎村の正福寺は本尊は聖観世音菩薩で、村名をとって藤崎山正福寺と号している。明治初期の本堂の規模は間口八間・奥行五間。宇那谷村の大聖寺を本寺としているが、末寺ではなく門徒寺である。しかし図28で分かるように、谷津村の西光寺や久々田村の東漸寺が本寺としている船橋村の西福寺と同列になる。慶応三年(一八六七)における土地保有面積は一町八反一八歩で、このうち境内が三反五畝歩・林が一町二反八畝一八歩であった。正福寺も創建年次は不詳である。しかし、現在では焼失してしまったが、慶長二年(一五九七)の棟札があったといわれるので、近世初期には創建されていたものと考えられる。寛延三年(一七五〇)には庫裏が焼失し、この年の一一月に住職良慶がこれを再建(現客殿)している。その後寛政七年(一七九五)には、宥実によって本堂と観音堂の大改修が行われた。観音堂に安置されている木造聖観世音菩薩坐像は二四センチメートルの小像であるが、近年の調査によって中世末期から近世初期の作と推定されている。また観音堂の格天井に雲竜の図と各種の草木鳥獣の図が措かれており、「桂林広峯」の落款があることから住吉派の絵師ではないかといわれている。(「習志野市史」より)
正福寺の周辺図