龍寳山東漸寺|習志野七福神の福禄寿
東漸寺の概要
習志野市津田沼にある真言宗豊山派寺院の東漸寺は、龍寳山摩尼珠院と号します。東漸寺の創建年代等は不詳ながら、「近世初期にはすでに室町時代には創建されていた」といいます。習志野七福神の福禄寿、吉橋大師八十八所霊場25番、下総四郡八十八所霊場25番です。
山号 | 龍寳山 |
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院号 | 摩尼珠院 |
寺号 | 東漸寺 |
住所 | 習志野市津田沼4-1-21 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東漸寺の縁起
東漸寺の創建年代等は不詳ながら、「近世初期にはすでに室町時代には創建されていた」といいます。
「習志野市史」による東漸寺の縁起
東漸寺
久々田村(現津田沼)の東漸寺は本尊は延命地蔵菩薩で、竜宝山摩尼珠院東漸寺と号している。明治初期の本堂の規模は間口八間・奥行五間四尺。西光寺と同じく船橋村西福寺の末寺である。創建年次は不明であるが、これも近世初期にはすでに創建されていたものと考えられる。本尊の地蔵菩薩の縁日は毎年七月二三、二四日の両日で、この日は参詣人が群集したという。そしてこのにぎわいを目当てに、天保四年(一八三三)七月二三日の夜、住職不在をよいことに境内でサイコロ賭博をしていた者がおり、村役人らが代官の取調べを受けている。嘉永六年(一八五三)一二月一二日の夜には、東海道藤沢宿(現神奈川県藤沢市)にある時宗遊行沢本山清浄光寺の遊行上人が、諸国回国の途中に東漸寺に宿泊した。遊行上人一行は数十人から数百人になる大がかりなもので、江戸幕府から伝馬朱印状が与えられていたため、これを迎える領主は領地の境から役人が護衛して目的の宿寺に案内し、翌日はまた護衛して次の領地の境まで送っていくというものであった。久々田村の領主である旗本金田氏、ならびに宿寺となった東漸寺の負担は大変なものであっただろう。(「習志野市史」より)
東漸寺の周辺図