二峯山玉泉寺|佐倉市岩名にある真言宗豊山派寺院
玉泉寺の概要
佐倉市岩名にある真言宗豊山派寺院の玉泉寺は、二峯山寂号院と号します。玉泉寺の創建年代等は不詳ながら、岩名仁王尊の毘沙門堂の別当として創建したものとも思われ、岩名仁王尊は室町時代初期の制作と推定されています。大聖院に当寺過去帳が残されており、その過去帳には先住権大僧都法印宥弁が天正元年(1573)に寂していることを記していることから、戦国時代の天正元年頃には、大聖院の末寺として活動していたことが史料に残されています。
山号 | 二峯山 |
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院号 | 寂号院 |
寺号 | 玉泉寺 |
住所 | 佐倉市岩名642 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
玉泉寺の縁起
玉泉寺の創建年代等は不詳ながら、岩名仁王尊の毘沙門堂の別当として創建したものとも思われ、岩名仁王尊は室町時代初期の制作と推定されています。大聖院に当寺過去帳が残されており、その過去帳には先住権大僧都法印宥弁が天正元年(1573)に寂していることを記していることから、戦国時代の天正元年頃には、大聖院の末寺として活動していたことが史料に残されています。
「印旛郡誌」による玉泉寺の縁起
玉泉寺
岩名區字土羊正寺にあり眞言宗にして二峯山と號す佐倉町鏑木大聖院末なり本尊を大日如来とす由緒不詳明治四十四年十一月本堂取潰し庫裏を本堂に引直す其の間口八間三尺奥行五間境内三百坪にして住職は廣居教海にして管轄廳まで五里三十二町四間一尺なり(寺院明細帳)(「印旛郡誌」より)
「佐倉市史」による玉泉寺の縁起
玉泉寺(岩名)
本尊大日如来、井野千手院未(旧)。創建は不詳であるが、「現在大聖院所蔵の玉泉寺過去帳に当時先住権大僧都法印宥弁、天正元癸酉八月廿八日」と見えるから天正年間以前から寺のあったととは確実である(松裏委員調査)。近世には佐倉城主の崇敬された「岩名仁王尊」は当寺に安置のもので、土地の伝承では室町時代の中葉に創建というが焼失したためよりどころがない。当寺の毘沙門堂の前面には仁王堂があって左右に両力士の像を安置している。木片に明応年間(一五世紀末)に仏師の修理をうけたことが記されている。この仁王サマには伝説がある。それは、この仁王両尊が鹿島川を流れ下り岩名の川岸に漂着した。そこで近郷の人々が集って引揚げようとしたが、他村の人々には仏体が重くてあがらないが、岩名の者達は軽々と運ぶことが出来たという。かくて仁王尊は岩名に安置されることになったという。その初めの安置したところは天神堂標と呼ぶ数畝の平地であったが、後に現在地に移し、毘沙門天の前衛に置かれたという。この仁王尊漂着について興味深いのは、鹿島川上流の岩富にこの仁王尊を流したという伝えがあることである(松裏委員報告)。(「佐倉市史」より)
玉泉寺の周辺図