安勝寺。福島県喜多方市字諏訪にある曹洞宗寺院

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小荒山安勝寺。雲光和尚が応永29年に開創

安勝寺の概要

曹洞宗寺院の安勝寺は、小荒山と号します。安勝寺は、天海和尚を開山として、輝庵雲光和尚が応永29年(1422)に開創、雲光和尚入滅後、住僧が久しくなかったことから、慶長年間(1596-1615)示現寺十七世呑播和尚が入山、その後盛衰を経て明治13年の大火で全焼、再建に際して耐火造を採用した本堂を明治27年落成しています。

安勝寺
安勝寺の概要
山号 小荒山
院号 -
寺号 安勝寺
住所 喜多方市字諏訪98
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



安勝寺の縁起

安勝寺は、天海和尚を開山として、輝庵雲光和尚が応永29年(1422)に開創、雲光和尚入滅後、住僧が久しくなかったことから、慶長年間(1596-1615)示現寺十七世呑播和尚が入山、その後盛衰を経て明治13年の大火で全焼、再建に際して耐火造を採用した本堂を明治27年落成しています。

境内掲示による安勝寺の縁起

安勝寺は応永二十九年(一四二二年)、熱塩示現寺の僧、源翁三世の法孫雲光和尚の創建によると伝えられています。
現存する土蔵の本堂は、明治十三年の大火で全焼した本堂を再建したものです。なぜ土蔵の本堂をと、不思議に思われることでしょう。当時としては、外火から守るには土蔵以外にはなかったようです(明治十三年の大火では土蔵だけが残った)。そのためか、当時の住職は苦労し、托鉢を日課としてその資金を集めました。本堂には、再建にあたっての住職高橋越道の筆書が残されています。
本堂は、七間半に六間半の大きさで、けやき、松材を使用し、表面出入口には、土戸、板桟戸・障子戸の三重戸を設け、窓には土戸、ガラスをつけ、特に防火に重点を置き、火から仏を守ろうとした心使いが感じられます。(喜多方市・財団法人観光資源保護財団掲示より)

「喜多方市史」による安勝寺の縁起

安勝寺(市内寺町)
寛文五年、安勝寺環秀原心の記した書上(「示現寺末山事跡」)によると開山は、源翁より数えて三世の輝庵雲光。応永二十九年(一四二二)地蔵菩薩を安置して小荒山安勝寺としたとする。『会津鏡』には、永祥五年(一〇五〇)に安昌寺が建つとして、もと大用寺といったが、源翁の弟子が住んで寺号を安勝にしたとある。『新編会津風土記』は本尊を釈迦としている。(「喜多方市史」より)

「福島県耶麻郡誌」による安勝寺の縁起

小荒山 安勝寺
喜多方市字寺町に在り
一宗派:曹洞宗 總持寺派
一本山:護法山 示現寺 熱鹽村
一開山創立:應永二十八辛丑年八月二十一日天海和尚開山同二十九壬寅年九月二十日創建當寺開山天海和尚は示現寺開山源翁和尚第一の法嗣也。詔化より落髪受衣關東の諸禅刹を遊歴し朝に如来の教法を訓讀し暮に祖師の活法を錬磨し道を求むる志甚た深厚なり。曾て護法山頂に逸住するや徒を匡し衆を領し曹洞五位の文章を唱へ臨済三玄の密旨を行ひ大に吾門の宗風を扶起せり。應永二十九年秋多くして此地に移り浄宇一區を建設し地蔵薩埵の尊像を安置す。境内縦横三十歩東諏訪神社に接し東南人家に隣る、即ち山を小荒と號し寺を安勝と稱するもの義を四海安静の祥に取る乃祖職に當山に住する僅に六年にして遷化す。開基を雲光和尚といふ。當時舊領主蘆名氏耕地若干を付して寺領となす。然れとも年歴を詳にせす。滅後住僧無き久矣慶長年中示現寺十七世呑播和尚職を以て當山に住せり。爾来頗る隆衰ありと雖も舊記す殘編其詳なるを載せす。五世江雪和尚の時法宇を崇構す。規度宏壮殆んと前日の比にあらす。天明五年三月二十三日祝融の變に逢ひ堂宇悉く烏有となる。草庵を結ひ僅に佛制を守る。十二世泰麟和尚の時本堂及衆寮鐘樓を建立す。十六世梅梁和尚の時藩主松平氏該寺所有の耕地を沒収し以て更に村民に分與せり。當時開山の年則應永二十八年より本年(明治十一年)まで四百四十二年にして住職僧侶二十一世に及へり。明治十三年八月八日の火災に堂宇悉く烏有に歸し今の堂宇は明治二十七年九月の建築にかゝる。
一本尊:釋迦如来。脇立文殊菩薩、普賢菩薩(「福島県耶麻郡誌」より)


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安勝寺の周辺図


参考資料

  • 「喜多方市史」
  • 「福島県耶麻郡誌」