佐方八幡神社。廿日市市佐方の神社
佐方八幡神社の概要
佐方八幡神社は、広島県廿日市市佐方にある神社です。佐方八幡神社の創建年代等は不詳ながら、宮島の厳島神社と同じ頃の創祀と伝えられ、厳島神社神主に任命されて着任した藤原親実以降代々藤原家が祭主を勤めていたといいます。江戸期以降佐方・廿日市東町の氏神として崇敬されています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇、神功皇后 |
相殿 | - |
境内社 | 大歳神社 |
祭日 | 10月第二日曜日 |
住所 | 廿日市市佐方490 |
備考 | - |
佐方八幡神社の由緒
佐方八幡神社の創建年代等は不詳ながら、宮島の厳島神社と同じ頃の創祀と伝えられ、厳島神社神主に任命されて着任した藤原親実以降代々藤原家が祭主を勤めていたといいます。江戸期以降佐方・廿日市東町の氏神として崇敬されています。
「広島縣神社誌」による佐方八幡神社の由緒
『芸藩通志』によると承久年間(一二一九-二二)頃、桜尾城主周防前司藤原親実(厳島神社神主)より藤原氏が代々祭主を勤め、その後毛利氏の時神田の寄付があったという。福島正則により没収される。また、宮島の厳島神社と同じ頃の創祀と伝えられる。(「広島縣神社誌」より)
境内掲示による佐方八幡神社の由緒
当八幡宮は文政二年(一八一九)の佐方村差出し帳によると、鎮座は往古に遡り、厳島神社と同じと伝えている。中世には桜尾の厳島神主家が神事祭礼を執行、その滅亡の後も毛利氏により神田の寄進があり、祭礼は先規の如く行われて来た。しかるに、福島氏に代り、神田は失われたが、以後、近世は佐方村及び廿日市東町の住民の氏神として尊崇されて来た。
参道の石燈籠一対は文化五年(一八〇八)堀田仁助の寄進による。仁助は延享四年(一七四七)廿日市東町、津和野藩船屋敷に生れ長じて幕府の天文方となり、寛政十一年(一七九九)幕命により蝦夷地(北海道)の測量におもむき、その地図を完成した。有名な伊能忠敬は彼が老齢を以て推挙した弟子である。この燈籠は仁助が江戸より故郷の産土の神に献じたもので、銘文の「天文生」は彼の面目を後世に伝えている。また、「船屋敷 田原小左衛門集善、廿日市 西村屋久米次郎」寄進の狛犬一対も、当社が廿日市東町の氏神であったことの証であり、「若連中」寄進の石燈籠も貴重である。
昭和六十二年(一九八七)六月吉日
寄贈 廿日市ライオンズクラブ
石田米孝 謹撰(境内掲示より)
佐方八幡神社の周辺図
参考資料
- 「広島縣神社誌」