嚴島神社。廿日市市宮島町の神社
嚴島神社の概要
嚴島神社は、広島県廿日市市宮島町にある神社です。嚴島神社は、推古天皇元年(593)に、当地域の有力者佐伯鞍職が創建したと伝えられ、仁安3年(1168)には、現様式の社殿(寝殿造)が造営され、平家一門の崇敬を受けていました。
社号 | 嚴島神社 |
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祭神 | 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命 |
相殿 | 国常立尊、天照皇大神、素戔嗚尊、高皇産霊神、生魂神、足魂神、玉留魂神、大宮比売神、御饌津神、事代主神、軻遇突智神、埴山姫網、保食神、稚産霊神、倉稲魂神、豊磐窓神、奇磐窓神、埴安神、金山彦神、猿田彦神、興津彦神、興津姫神、罔象女神、天村雲神、屋船句々廼馳神、屋船豊宇気姫神、八十枉津日神、神直日神、大直日神、底津海童命、中津海童命、表津海童命、底筒男命、中筒男命、表筒男命 |
摂社 | 客神社(天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命)、大国神社、天神社、門客神社、三翁神社、豊国神社(千畳閣)、荒胡子神社、祖霊社 |
祭日 | 大祭11月17日から20日まで |
住所 | 廿日市市宮島町1−1 |
備考 | - |
嚴島神社の由緒
嚴島神社は、推古天皇元年(593)に、当地域の有力者佐伯鞍職が創建したと伝えられ、仁安3年(1168)には、現様式の社殿(寝殿造)が造営され、平家一門の崇敬を受けていました。
境内掲示による嚴島神社の由緒
嚴島は太古よりその山容に霊気を感じ、島全体が神として信仰されてきた。
社伝によると、嚴島神社は推古天皇元年(五九三)に、この地域の有力者であった佐伯鞍職によって創建されたのが始まりとされる。
仁安三年(一一六八)当時の太政大臣平清盛公によって寝殿造りの様式を取り入れ造営されたものが現在の社殿の礎となっていると伝わる。
鎌倉時代の二度の火災を始め、台風等に幾度となく被災するも、その時代の人達の尽力によって修復されてきた。
社殿群は国宝及び重要文化財に指定されており、平成八年(一九九六)に、世界文化遺産に登録され現在に至っている。(境内掲示より)
「広島縣神社誌」による嚴島神社の由緒
厳島神社は市杵島神社を主祭神とする本社と、主祭神と同時にお生まれになった五男神を祀る摂社客神社とを中心にして、海上に壮麗な社殿が建ち並び、日本三景の誉れ高い。当神社は推古天皇元年(五九三)、当島の住人佐伯鞍職によって、九電創立の事を奏聞し、勅許をえて御笠浜に創建し、同年十一月初申日に新宮に鎮座し奉ったと伝える。厳島神社が正史に初見するのは『日本後紀』の弘仁二年(八一一)七月に伊都岐島神が名神例に預かったことであり、貞観元年(八五九)正月に神階を従四位下に進められてより後、次々と昇叙されて正一位に達している。また、延長五年(九二七)の『延喜式』の神名帳では、名神大社に列せられており、安芸国一宮として名高い。降って平清盛は、当社を平家の守護神として崇敬し、仁安三年(一一六八)現在の規模のしゃでんを造営している。承安四年(一一七四)には平清盛は後白河法皇と建春門院に伴って社参し、治承元年(一一七七)には中宮徳子、治承四年三月と九月には高倉上皇が御幸されている。また、平家一門の人々が平家納経をはじめ数々の美術工芸品を奉納している。平家の後も鎌倉将軍家や足利尊氏、大内義隆、毛利元就などの崇敬を受け、また、厳島神社は全国に亘って奉斎されて広く国民一般の尊崇が篤い。平清盛の造営の後、建永二年(一二〇七)と承応二年(一二二三)に火災に罹り、現在の主要社殿は仁治二年(一二四一)までに再建されたものであり、本社本殿はさらに元亀二年(一五七一)に毛利元就が造替している。(「広島縣神社誌」より)
嚴島神社の境外社
- 地御前社(廿日市市地御前南町1506)境外摂社
- 大元神社(廿日市市宮島町)境外摂社
- 御山神社(廿日市市宮島町)境外摂社
- 長浜神社(廿日市市宮島町)境外摂社
- 瀧宮神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 金刀比羅神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 北之神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 今伊勢神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 四宮神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 道祖神社<幸神社>(廿日市市宮島町)境外末社
- 粟島神社(廿日市市宮島町)
- 杉之浦神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 鷹之巣浦神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 腰少浦神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 青海苔浦神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 養父崎神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 山白浜神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 須屋浦神社(廿日市市宮島町)境外末社
- 御床神社(廿日市市宮島町)境外末社
嚴島神社所蔵の文化財
- 厳島神社(世界遺産)
- 厳島(国指定特別史跡特別名勝)
- 大鳥居など社殿群(国宝・重要文化財)
- 平家納経(国宝)
- 紺神金字法華経(国宝)
- 小桜韋黄返威鎧(国宝)
- 紺糸威鎧(国宝)
- 浅黄綾威鎧(国宝)
- 黒韋威胴丸(国宝)
- 太刀(銘友成作)(国宝)
- 梨子地桐文螺鈿腰刀(国宝)
- 彩絵桧扇(国宝)
- 厳島神社古神宝類(国宝)
- 金銅密教法具(国宝)など
厳島神社
世界文化遺産「厳島神社」は、瀬戸内海の自然を代表する天然記念物「彌山原始林」を頂く宮島の島全体をご神体として、6世紀ごろに創建されたと伝えられている。
1168年、平清盛は海上に浮かぶ寝殿造りの社殿という独創的な神社建築を完成させた。平安時代の極に達した建築美の面影は、多くの先人によって手厚く守られ、現在に伝えられている。
周囲の海や山と見事なまでに調和した厳島神社の美しさと、その多彩な歴史は他に類例を見ないものである。また、神道の社殿群の中にかつての神仏混淆のなごりを色濃くとどめている。
大鳥居の立つ海と背後の弥山原始林や都市公園を包括する地域は1996年12月7日「厳島神社」としてUNESCOの世界遺産に登録され、その価値は全世界で共有されることとなった。
我々は、この貴重な遺産を後世に引き継ぐ責務を負ったのである。(宮島町掲示より)
厳島
厳島(宮島)は周囲30km、全島花こう岩からできている。島の最高峰彌山は530m頂上からの内海の眺めはすばらしい。これを中心にいくたの峰・渓谷を生じ、海岸線は変化に富んでいる。彌山山頂を含む地域は原始林として天然記念物に指定されており、樹種がはなはだ多いので、ここを住みかとしている鳥獣の種類も少なくない。いつくしまの呼び名は、神をいつきまつる島、に由来するといわれており、古くは、島そのものが神として崇拝されたもので、厳島神社に対する、平清盛一門の信仰は名高く、海に浮かぶ社殿の構想もこの時にはじまる。ひはだぶき、朱塗の社殿が緑の山を背負い、おだやかな海にのぞむ景色は自然と人工のすぐれた調和美をなし日本三景のひとつと賞せられてきた。大鳥居・社殿・平家納経などをはじめ国宝・重要文化財が少なくない。また付近には毛利元就と陶晴賢の古戦場など史跡に富んでいる。(境内掲示より)
嚴島神社の周辺図
参考資料
- 「広島縣神社誌」