亀山神社。呉市清水の神社
亀山神社の概要
亀山神社は、広島県呉市清水にある神社です。亀山神社の創建年代等は不詳ながら、呉宮原村字亀山に文武天皇大宝3年(703)鎮座したと伝えられ、大屋津日売神社・鈴音宮・日売島神社などと称され、平清盛が音戸瀬戸を開く際には当社に祈願、かつては清盛塚もあったといいます。明治維新に際して亀山神社と改称、鎮座地が明治19年海軍呉鎮守府用地として接収され、明治23年当地へ遷座、昭和16年県社に昇格していました。
社号 | 亀山神社 |
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祭神 | 帯中津日子命、息長帯日売命、品陀和気命 |
相殿 | 高御産巣日神、奥津比売命、奥津日子命、万幡豊秋津師比売命、久久能智神、火之加具土神、宇気母智神、天吉葛神、伊賀古夜比売神 |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | 10月第2日曜日 |
住所 | 呉市清水1-9-36 |
備考 | - |
亀山神社の由緒
亀山神社の創建年代等は不詳ながら、白鳳8年(679)豊後国姫島から安芸国安芸郡栃原村甲手山に天降り、そして呉宮原村字亀山に文武天皇大宝3年(703)鎮座したと伝えられ、大屋津日売神社・鈴音宮・日売島神社などを称されていたと伝えられ、『安芸国神名帳』に記載の「姤神明神」が当社に比定されます。平清盛が音戸瀬戸を開く際には当社に祈願、かつては清盛塚もあったといいます。明治維新に際して鎮座地名より亀山神社と改称、鎮座していた呉宮原村字亀山の地が明治19年海軍呉鎮守府用地として接収され、明治23年当地へ遷座、昭和16年県社に昇格していました。
境内掲示による亀山神社の由緒
当社は帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯日売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)の三柱を主祭神として祀る古社で「八幡さん」と呼ばれ親しみ敬われ、家内安全・商売繁盛を始め学問・安産・交通安全・厄除け等の神様として崇敬を集めている。
創建年代は不詳だが、呉宮原村字亀山(現在の入船山記念館の所)の地への御鎮座は文武天皇大宝三年(七〇三)八月中旬と伝えられている。
この頃の社号は「大屋津日売神社」【大屋津日売とは、家屋・木の神の名で、この地域の中心産業が木に関わる産業えあった事の表れと言えよう】、「鈴音宮」【参拝者や神楽の鈴の音が絶えないお宮、の意】「日売島神社」【大分県姫島の神が天武天皇白鳳八年(六七九)栃原村甲手山に天降り給ひ、後、亀山にご遷座との古伝あり】等称され、後「大帯日売神社」【大帯日売は、神功皇后の別名】、「八幡宮」【九世紀以降か?】更に「皇城宮」【寛政十一年(一七九九)に奉献、現存の燈籠にこの社号が残る。現在でも用いられ、この燈籠にもある日月の神紋は文明年間(十五世紀後半)よりといわれ八幡宮の神紋としては例の少ないものであると言われている】、明治維新の際「亀山神社」と改称される。
このような社号の変遷に、常に地域の生活と密着した心の故郷の姿がうかがえる。
呉鎮守府設置の折、入船山より明治二十三年五月現在地に移転。
昭和十六年十月村社より県社に昇格。
昭和二十年七月二日早暁戦災により焼失。
昭和三十年五月十二日再建。
昭和三十二年別表神社として登載される。(境内掲示より)
「広島縣神社誌」による亀山神社の由緒
縁起によると天武天皇御宇(六七二-八六)白鳳八年、豊後国姫島より安芸国安芸郡栃原村甲手山に天降り、さらに大宝三年(七〇三)岡郡宮原村亀山(入船山)に鎮座したと伝えられる。古くは皇城宮、大屋津比売神社、大帯比売神社、比売志麻神社、鈴音宮、あるいは八幡宮と称し、楽音寺蔵『安芸国神名帳』に姤神明神とあるのは当社のことと考えられる。平清盛が音戸瀬戸を開く際には当社に祈願し、厳島神社の造営時に当社にも神殿等を寄進したと言われ、社記によると境内には清盛塚も存したという。その後、文治五年(一一八九)、正和元年(一三一二)、天文三年(一五三四)などに社殿の造営があった。明治十九年になって鎮座地が海軍の呉鎮守府の用地とされ、二十年五月に現在地へ遷座した。昭和三年に火災、同二十年に戦災に遭い、現在の社殿は三十年に再建した。旧社格は県社であり、国家安泰、航海交通安全、学問、安産の神として崇敬を集めている。(「広島縣神社誌」より)
「廣島縣史」による亀山神社の由緒
(村社)龜山神社
筑紫宇佐島より豊後姫島に遷り、白鳳八年姫島より安藝郡栃原村甲手山に、尋て大寶三年宮原村船入山に遷る、社號は皇城宮、又大屋津比賣神社、又大帯比賣神社、又比賣志麻神社、又鈴音宮、又八幡宮等と稱呼したりといふ、明治中社地を海軍用地に収用せられ、同二十四年十二月今の地に移る。(「廣島縣史」より)
亀山神社の周辺図
参考資料
- 「広島縣神社誌」