明星院。広島県広島市東区にある真言宗御室派寺院

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明星院。広島県広島市東区にある真言宗御室派寺院

明星院の概要

真言宗御室派寺院の明星院は、月光山大日寺と号します。明星院は、毛利元就(輝元か)が母の位牌所として創建、寺領1000石を寄附されていたといいます。その後福島正則が、豫州石手寺の僧榮鏡を招請、寺領200石を寄附して、宗旨を禅宗から眞言宗へ改めて再建しています。浅野氏の入国に伴い、始祖長政夫妻の位牌を安置、広島城の鬼門にあたることから歴代藩主の祈願寺と定められ、寺領400石の寄進を受け、城下真言宗一派の触頭を勤めていました。明治42年に無住となった際には京都御室御所仁和寺別院となっていました。中国地蔵尊霊場11番札所です。

明星院
明星院の概要
山号 南光月奈月山
院号 明星院
寺号 大日寺
本尊 千手千眼観世音像
住所 広島市東区二葉の里2−6
宗派 真言宗御室派
葬儀・墓地 -
備考 -



明星院の縁起

明星院は、毛利元就(輝元か)が母の位牌所として創建、寺領1000石を寄附されていたといいます。その後福島正則が、豫州石手寺の僧榮鏡を招請、寺領200石を寄附して、宗旨を禅宗から眞言宗へ改めて再建しています。浅野氏の入国に伴い、始祖長政夫妻の位牌を安置、広島城の鬼門にあたることから歴代藩主の祈願寺と定められ、寺領400石の寄進を受け、城下真言宗一派の触頭を勤めていました。明治42年に無住となった際には京都御室御所仁和寺別院となっていました。

「廣島縣史」による明星院の縁起

大須賀町明星院
天正十七年毛利輝元造、素月山妙壽寺明星院と稱し、其母大内氏の位牌所とす、寺領千石宗旨は禅宗たり、福島氏の時空院たりしを、豫州石手寺の僧榮鏡を請し、寺領二百石を施し、眞言宗と改めて祈願所とす、淺野家に至り、紀州愛王院の僧秀海を請し、長政夫妻の位牌を安置し、改て寺領二百石を施し、兼ねて祈願所とす、享保二年及文化中共に百石を加へ、合して四百石を領す、舊藩官寺五ヶ寺の一なり、明治に至り寺領を失ひ衰頽せしか、同四十二年廣島市人八木新兵衛再造す。(「廣島縣史」より)

境内掲示による明星院の縁起

毛利元就が母の位牌所として建立し(当時は妙寿寺(院号明星院)と称す)、その後、浅野氏のとき始祖長政夫妻の位牌を安置し、領内鎮護のための祈祷所となった寺である。
天保6年(1835)、領主浅野斉粛(なりたか)が境内の西半分に饒津神社を造営の後は、明星院は饒津神社の別当寺とされた。
昭和20年(1945)原爆により全焼。現在の建物は昭和49年(1974)に再建されたものである。堂内には赤穂四十七士の木像が安置されている。(二葉の里歴史の散歩道掲示より)

境内石碑による明星院の縁起

明星院縁起
当山は、真言宗御室派に属し、南光月奈月山大日密寺明星院(常には月光山明星院)と号し、本尊は千手千眼観世音菩薩を祀ってあります。開基について、史実を伝える適確な記録は残っていませんが、毛利輝元公が広島開府の時、明星院山に登ちて地形を相せしことの記述を見れば天正十七年以前より存在していたことがわかります。境内地が広島城の鬼門(艮の方向)に当たる所から藩制時代、歴代藩主の祈願寺と定められ、毛利家・福島家を経て浅野家時代には寺領四百石を賜わり、末寺八ヶ寺を有し大伽藍にして広壮を極め、藩内五ヶ寺の一つとして又、城下真言宗一派の触頭を勤めた名刹であります。
歴代藩主は親ら当寺に参拝し、毎年正・五・九月を祈願の月と定め十二日には住職が八人の伴僧を随えて登城し、城中にて大般若転読祈願を修行しました。又、当寺に於ては鎮国堂(桁行十三間・梁行八間の紫宸殿造りの祈祷堂、内陣は七檀構え)で二十九日より二夜三日の間二十人の僧をひきいて普賢延命尊大法・同護摩供・聖天供・十二天供・神供等の秘法を厳修し、その験は誠に灼で寿命長久・変成男児等藩主の志願悉く成就し、維新前に至るまで一日も怠ることなく続けられました。天保五年九代斉粛公の時境内の西半を割いて饒津神社を造営したる後は、祭祀を司る別当職も兼ねました。くだって明治四十二年より京都御室御所仁和寺別院となりましたが、昭和二十年八月六日原子爆弾により仁王門・赤穂義士堂等の倒壊をのぞき全ての諸堂宇は悉く灰燼に帰しました。しかし、一山の法脈はやはり絶えず本堂を再建し、焼失をのがれた秘仏を祀り、近郷善男善女の信を集め、今日に至ったものであります。(境内石碑より)


いいお墓

明星院の周辺図


参考資料

  • 「廣島縣史」