専光寺。広島県広島市東区にある浄土真宗本願寺派寺院
専光寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の専光寺は、峰原山と号します。専光寺は、吉田十郎衛門尉元信が主君毛利元就の嫌疑を受けて出家、祐念と名乗り、天正17年(1589)専勝寺の明惠に従って当地に来住、豆腐屋町(鳥屋町)に寛永7年(1631)創建、元禄元年(1688)当地に移転したといいます。
山号 | 峰原山 |
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院号 | - |
寺号 | 専光寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市東区光町2−13−7 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専光寺の縁起
専光寺は、吉田十郎衛門尉元信が主君毛利元就の嫌疑を受けて出家、祐念と名乗り、天正17年(1589)専勝寺の明惠に従って当地に来住、豆腐屋町(鳥屋町)に寛永7年(1631)創建、元禄元年(1688)当地に移転したといいます。
「廣島縣史」による専光寺の縁起
専光寺
蓬原山
寛永七年祐念(毛利家士吉田十郎左衛門藤原祐信)豆腐屋町(後の鳥屋町)に創立、元禄元年今の所に移る、もと専勝寺末なりしか、同寺東派に屬せしに從はず、正保四年より本山直末となる。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による専光寺の縁起
専光寺
専光寺は峰原山と號す、臺屋町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、もと専勝寺の末寺なりしが、正保四年故ありて本山の直末寺となれりといふ、寛延三年十一月東派に轉じ、寶暦二年五月西派に復す、開基祐念は高田郡吉田の人、吉田十郎衛門尉元信にして、嘗て毛利氏に仕へしが、元就の嫌疑を受けて僧となり、天正十七年専勝寺の明惠に随從して當地に来り、豆腐屋町(今の鳥屋町)に道場を開きしが、後ち今の地に移れり、延徳二年七代祐淳の時釣鐘を新鑄せり、(「廣島市史社寺史」より)
専光寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」