善教寺。広島県広島市南区にある浄土真宗本願寺派寺院
善教寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の善教寺は、臥虎山と号します。善教寺は、備後の人津村次郎右衛門が出家し長順と名乗り、寛文12年(1672)専勝寺中に創建したといいます。久しく無住が続いていたものの、雨木村正覺寺より入寺した智圓が明治12年寺号公称の許可を得て、専勝寺中から鹽屋町の下へ移転、明治41年当地へ移転したといいます。
山号 | 臥虎山 |
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院号 | - |
寺号 | 善教寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市南区比治山本町11−1 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善教寺の縁起
善教寺は、備後の人津村次郎右衛門が出家し長順と名乗り、寛文12年(1672)専勝寺中に創建したといいます。久しく無住が続いていたものの、雨木村正覺寺より入寺した智圓が明治12年寺号公称の許可を得て、専勝寺中から鹽屋町の下へ移転、明治41年当地へ移転したといいます。
「廣島縣史」による善教寺の縁起
善教寺
寛文十二年長順(備後の人津村次郎右衛門)専勝寺中に創立、明治十三年寺號公稱許可、同四十一年今の所に移る。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による善教寺の縁起
善教寺[もと専勝寺の持僧]
善教寺は臥虎山と號す、段原町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、もと専勝寺の持僧たりしが、舊記なければ往古の縁由知り難し、維新後久しく無住なりしも、明治九年備後國品治郡(今の芦品郡の内)雨木村正覺寺より智圓といふ僧来りて住職となり、明治十二年寺號公稱を地方廳に出願し許可を得て、専勝寺境内より同寺の南(鹽屋町の下)に移転す、同二十三年智圓寂し、子寶琳これを繼ぎ、幾ばくもなくして亦寂し、爾来住職なく、他寺より之を兼ねしが、同四十一年五月に至り、當寺の資産と信徒の喜捨とを以て、今の段原町比治山東麓の智を贖求し、堂宇を新建せり、(「廣島市史社寺史」より)
善教寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」