大願寺。廿日市市宮島町にある高野山真言宗寺院
大願寺の概要
高野山真言宗寺院の大願寺は、龜居山放光院と号します。大願寺の創建年代等は不詳ながら、延暦21年(802)に創建、文治年間(1185-1189)に中興したとも、建仁年間(1201-1203)頃に了海が開山したとも伝えられ、室町時代には傑出した住職を輩出し、厳島神社の修理造営権を握り、筑前筥崎八幡宮・豊前宇佐八幡宮の修造にも当たっていたといいます。広島新四国八十八ヵ所霊場初番です。
山号 | 龜居山 |
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院号 | 放光院 |
寺号 | 大願寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 廿日市市宮島町3 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大願寺の縁起
大願寺の創建年代等は不詳ながら、延暦21年(802)に創建、文治年間(1185-1189)に中興したとも、建仁年間(1201-1203)頃に了海が開山したとも伝えられ、室町時代には傑出した住職を輩出し、厳島神社の修理造営権を握り、筑前筥崎八幡宮・豊前宇佐八幡宮の修造にも当たっていたといいます。
境内掲示による大願寺の縁起
真言宗に属し、室町時代末期に厳島神社の修理造営権を握り、道本・尊海・円海と相次いで傑出した住職が出て、厳島神社諸建築の建造や復旧に当たった。また鍛冶・番匠(大工)・檜皮師などの職人団を率い、筑前筥崎八幡宮、豊前宇佐八幡宮の修理造営にも当たった。当時厳島は内海の要港で、ここに集まる京・堺などの貿易商人らとの接触も深い。尊海が大蔵経を求めて朝鮮に渡った時の見聞を、記した紙本墨書尊海渡海日記(国指定重要文化財)、銅製朝鮮鐘(重要美術品)、木造薬師如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造阿難尊者立像・木造迦葉尊者立像(以上国指定重要文化財)、その他多数の中世古文書文書を所蔵する。(境内掲示より)
「廣島縣史」による大願寺の縁起
延暦二十一年創立、文治中榮繁中興といふ、藝藩通志に、建仁の頃、了海を開山とす、古文書に、嚴島本願寺とあり、今も本願・大願寺とも稱す、世々宮廟修理の事を掌るとあり、當寺には國寶の佛像四軀(彫刻)及古文書あり。(「廣島縣史」より)
大願寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」