禿翁寺。広島県広島市中区にある浄土宗寺院
禿翁寺の概要
浄土宗寺院の禿翁寺は、寂靜山と号します。禿翁寺は、信譽禿翁が心行寺を開いた後に寛永年間(1624-1645)に当寺を創建、その法弟寂譽(周防氏)が開山したといいます。
山号 | 寂靜山 |
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院号 | |
寺号 | 禿翁寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市中区東白島町8−8 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
禿翁寺の縁起
禿翁寺は、信譽禿翁が心行寺を開いた後に寛永年間(1624-1645)に当寺を創建、その法弟寂譽(周防氏)が開山したといいます。
「廣島市史社寺史」による禿翁寺の縁起
禿翁寺寂靜山・専稱院と號す、東白島町に在り、宗派・本寺とも妙慶院に同じ(浄土宗・京都智恩院の末寺)、本尊は阿彌陀如来なり、寛永年中、僧信譽禿翁の開基にして、其法弟寂譽其後を襲、依りて寂譽を以て開山となす、寂譽は紀伊國和歌山の人、周防氏といふ、其傳は心行寺の部に詳なり、境内に閻魔堂あり、閻魔王の座像を安置す、相傳ふ、参議小野篁の作にして、日本三靈像の一なりと(他の二體は安藝國豊田郡入野村竹林寺と相模國藤澤寺とに在り)又古墳あり、墓面に長性院殿岳譽法春大姉覺靈(漢文六年丙午九月五日寅初交)と題す、長性院は初名元佐、下妻某の娘なり、城州伏見に生る、十二歳の時、初めて徳川家康に近侍し、駿府に在ること數年、正清院(家康の第三女振姫)淺野家に入嫁ありし時、切に請ひて元佐を随從せしめられ、倶に紀州に赴かる、元佐遂に紀州に留まり、寺西利之に嫁し、元和五年廣島に来りて歿す、正清院の眷遇常に厚かりしと云ふ、
墓碑
長性院殿岳譽法春大姉の碑(昌清院殿振姫の侍女寺西利之の妻)
碑銘
長性院殿岳譽法春初名元佐城州伏見之産乳下妻某母竹田十二歳初近侍于大権現在駿府有年于茲矣後昌清院殿請之令從遊南紀竟留止于彼嫁於寺西利之既面産一男續来藝之廣陵而生一女三男各禄仕于本邦孫枝繁曼也今茲寛文丙午九月五日罹病而逝矣壽七十有三預有遺誠築墳墓於城州紫雲山刹之旁更ト地於廣陵城北白島禿翁精舎而立斯石庇以瓦屋者要令雪霜郡莫侵焉
寛文六年丙午十月念有五日
孝子某甲寺敬立(「廣島市史社寺史」より)
禿翁寺の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」